いまさらといえばいまさらですが、

「未来」3月号に評論「インターネットの私性と短歌の詩性」が掲載されています。短歌以外の話が多すぎる、とのコメントを何人かの方から頂いています。確かにその通りです・・・。orz
とはいえ、久々の評論で、今までずっと書きたいと思っていたこと、自分が何を目的にして歌をやっているのか、その理由について書くその導入編にはなったと思います。もしお時間があればご覧下さい。
ちなみに、これは「詩歌句」春号にも転載されることになりました。む。

30日にいちおー、追記。
珂瀾さんのヴァーサスの日記を楽しみに、毎週月曜日は昼休みに読んでいるわけです。
あと、同じ月曜日には東郷先生のサイトも回るわけです。
たまご屋の弁当を食べながら笑ったり、ご飯を噴き出したり、うんうん唸りながらもぐもぐしてるわけです。

で、今回掲載された評論は、27日に珂瀾さんが書いていらっしゃることを、回りくどく搦め手で書きたいと思っていたわけです。こういうときに自分の文章力の無さが呪いたくなりますな。


備忘として。
3月に入ってからだと、フォーサイスを2本、東京国際芸術祭「ストロベリークリームと火薬」「カリラ・ワ・ディムナ」、山海塾ヨーロッパ企画「Windows5000」、トリシャ・ブラウン、男振り、FAGAALA。他にも何本かを見た気がする。映画だとブロークバックマウンテンとあと1〜2本見たりしたっけ。