本記事は、濱松哲朗さんが企画された、短歌と趣味に関する同人誌「HAJÓS」(2024年12月1日の文学フリマ39で初頒布)に掲載していただいた私の日記「「HAJÓS」のための日記(わたしはどんな船に乗ってしまっているのか)(抄)」の、同人誌に掲載されなかった部分です(一部に同人誌掲載部を含みます)。こちらの日記で興味をもっていただけましたら、本誌のほうもご覧いただけますと幸いです。
8月6日(火)
朝、初期値-0.4㎏。朝から出社。私は早起きがとても苦手だが、子どもの生活リズムにあわせて4月からなるべくがんばっている。職場到着直後のコンビニスイーツをがまん。えらい。
退勤後に通院し、睡眠時無呼吸症候群であるとの通告。医師に「痩せてから再検査してもらってもいいですか?」と申し出て了承を得る。夜、西林『わかったつもり』再読。この日は睡眠を優先して23時に寝る。
8月9日(木)
朝、初期値+0.5kg。こどもを学童保育に送り届けてから出社。電車の遅れもあって、会社に遅参(それでも定刻よりは早い)。午前中から長めの会議。昼食は、ライフで買ったトマトサラダ(大)と雑穀弁当。いわゆる「あすけんの女」(健康管理アプリaskenに登場する架空の管理栄養士。テレビドラマ「科捜研の女」を元にしているジャーゴンだろう)の指示に従い、酢の入っていそうなドレッシングを選ぶ。昼食後、ロング『ブッククラブ』予習。
自分の異動の噂を聞く。自分についての噂を自分で聞く、というのも不思議なものだが、この組織は得てしてそういうものだ。
子どもを学童に迎えに行き、帰路につく。子どもが一歩も歩けない、と甘えるので、20㎏+荷物を抱えて満員の丸の内線に乗る。子どもは今朝、妻と「夕方に縄跳びをやる」と約束したのだという。帰宅後すぐに子どもと近所の公園へ行く。あたりは暗くなりつつあった。はじめは自己ベストをなかなか破れず悔し涙を流していたが、涙をぬぐったあとは立て続けに自己ベストを更新し続け、先おとといの記録のほぼ倍となった。子どもの成長は早い。
子どもを寝かしつけたあとの夜、テレビをつけようとリモコンを手に取ったとき、録画モードが機能していることに気づき、強い希死念慮が襲ってくる。今録画しているのはテレビ東京の「あの本、読みました?~俵万智VS東大医学部生YouTuber歌人【短歌】の魅力」だ。
学生時代、目視で確認できる限り、短歌にふれる番組、歌人が出る番組を録画しまくった。それを見続けた。タレントが短歌をつくって笑いあうだけでも、だ。あるときから、録画はできても再生できなくなった。データとしては再生できる。残ってる。気持ちの問題として、観られなくなった。今もBlu-rayに何本もの短歌関連番組が入っているがいつ見られるようになるだろう。「いつか壁にあたってしまったとしても好きでやり続けているのなら必要なものは全てわたしの気持ちに必ず追いつく」(地主『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』5巻)とはどこかで信じてはいる。信じようと努めている。でも、「自惚れて勘違いして詮索してどうなったか忘れたか?」(同4巻)。今日は「文學界」2024年9月号も届いていた。告知や感想のツイートが、被災した宮崎を置いてけぼりにしたかのように、起こるかどうかも分からない南海トラフ地震を懸念したツイートと、長崎と、ガザにまつわるツイートの間を縫ってTLを流れていく。無力すぎて死にたい。とおもいつつ、食器を洗い、洗濯ものを畳み、洗濯機の予約をする。酒を飲みたいが断酒だ。こういう希死念慮をごまかすための、飲食以外の方法を求める。
8月10日(土)
三連休初日。寝坊して、子どものスイミングスクールへの送りに間に合わず途中から観覧。スイミングスクール近くのパン屋でパンを買ってから帰宅。すぐに近くのイオンへ向かう。子どもがいつも楽しみにしている回転寿司屋へ行き20貫ほどで切り上げる。スーパー戦隊と仮面ライダーの映画を見、買い物をし、アイスを食べてから帰宅。子どもと妻にくつろいでもらう間に、スーパーへ行き買い物。明日のポットラックパーティに向けて下ごしらえ。この日はピクルスとガスパチョ。夕食後、子どもを寝かしつけ、ジムでフィットネスバイク。帰宅後、希死念慮が募り、就寝時間が遅くなる。
8月11日(日)
睡眠時間が短かったためか起床直後から気持ちが悪い。朝、子どものスイミングスクールに付きそうが、観覧中も立ち上がれない。帰宅後、昼食まで二度寝。子どもの求めにより、昼食に限界塩ラーメンを作る。今回は味が濃い目に出来てまずまず。そのまま、夕方からのポットラックパーティの準備。ポットラックとポトラッチって似てる気がしたけど全然違うらしい。この日はガスパチョの仕上げと、フリッタータ、アボカドディップ。子どもには包丁の準備としてカプレーゼのチーズを切ってもらう。
荷物をまとめて、子どもとともにパーティ会場へ向かう。妻はこの間、各種手続き。このポットラックパーティは、私が所属する大学院のゼミで催されたもの。英語での自己紹介後、しばしの歓談(これは日本語)。子どもが飽きはじめる頃合いを見計らって、子どもを妻に預け私はパーティ会場に戻る。「同じゼミ」という点くらいしか共通項がないため、話しすぎないようになるべく黙る。会場の終了時刻で切り上げて帰宅。シャワーを浴びたあと、余った料理で余った酒を飲んで就寝。
8月12日(月・祝)
朝、子どもが同級生と遊びに行くため、妻に任せて速やかに二度寝。昼、子どもの同級生家族と一緒にデニーズへ。その後、子どもたちは地域の施設や図書館へ遊びに行くらしいので、私はジムへいきNHK Worldを聞き流しながらフィットネスバイクを漕ぐ。子どもを寝かしつけた後、コンビニへ酒を買いに行き、まだ余っていた料理で妻と軽く飲む。〈現地調達されたマルシルのコスプレ〉の話を共有しつつ、ダンジョン飯のアニメを観る。ここで食べきれなかった分は諦めて廃棄。
8月13日(火)
極めて短い睡眠時間で朝からヘロヘロだが在宅勤務。昼休みは昼食を抜いて全面的に睡眠に充てる。午後は会議。私書箱からようやく内藤明さんのハガキが転送されてくる。諸々の家事・寝かしつけ後に、BBCを聞き流しながらフィットネスバイクを漕ぐ。今クールはひとりで気楽にアニメが観られない。それはたぶん作品の問題じゃなく私の死にたさの問題。
クリエイターやアーティストと呼ばれる人々への尊敬と軽視とは、趣味の延長と見なされているからなのだろう。眠剤を飲んで就寝。
8月14日(水)
今日も睡眠時間が短かったが、Apple Watchのログによると深い睡眠がとれたらしい。それでも気分が悪くて朝から帰りたい。昼休み、勢いでInstagramとThreadsのアプリをスマホから削除。だって通知は来るけど見ないんだもの。終業後速やかにジムへ行く。
8月15日(木)
仕事。朝から晩まで会議が続く。ジムをお休みし、22時過ぎに就寝
8月16日(金)
初期値-0.7kg。在宅勤務だが、朝から晩まで会議。子どもの就寝後にジムでフィットネスバイク。読書会のレジュメを作り始める。お酒を飲んでから就寝。
8月17日(土)
朝寝坊。子どものサッカーへの付き添いを妻にお願いし、ギリギリまで寝る。スーパーへ買い物に行き、買い出し。子どもの帰宅に間に合うようお好み焼きを作る。子どもと入れ違いになるように、四谷SS歌会へ出発。今回が初めて(続くかどうかはわからない)。ギリギリまで参加予定人数がおおくなかったので、提出詠草は「1~2首(2首目を出しても可)」としていたところ、結果的に8人14首出詠(1名は当日欠席)となった。これはなかなか有難い。充実した歌会となってうれしい。歌会会場近くで懇親会を19時半ごろまでやり解散。帰宅したらまだ子どもの就寝前。寝かしつけた後、酒をコンビニへ買いに行き追加飲酒。2時就寝。
8月18日(日)
再び寝坊。子どものサッカー後、池袋のマクドナルドへ。子どもの買い物に付き合った後、帰宅。子どもと妻はドラゴンボール改を観ている間に読書会のレジュメ作成。子どもが寝た後、すぐにロング『ブッククラブ』読書会。参加者3人で雑談込みで色々と会話できた。風呂後速やかに就寝。
8月19日(月)
今日は夏期休暇。朝から病院へ行き、子どもの検査・受診に付き添う。昼前に終わり、子どもの要望によりサイゼリヤへ。注文しすぎた結果、食べすぎる。帰り道に近所の図書館へ寄るも休館日で空振り。子どもと妻と共にドラゴンボール改を観る。その後ジムへ行き高校野球を観ながらフィットネスバイクを漕ぐ。夜、近所で整体を受ける。酒を飲みたい気分ではあるが、我慢。ジャンプを読んでから就寝。呪術があと5回で終わるのか……?ほんとうに?
8月20日(火)
初期値-1.2㎏。血圧もあいかわらず相当低い。普通に考えて低血圧の範囲。以前ある病院で測ってもらって高血圧と診断されたのが信じられない。血圧計のせいか、測定時間帯のせいか、それともわたしの体質のせいか。朝から仕事。午後会議。
8月21日(水)
在宅勤務。忙しくて一つ会議を忘れてしまう。夕方にジムへ行く。
8月22日(木)
朝から在宅勤務。明日の準備であわただしい。夕方、実母来訪。子どもの希望により夕食はピザ。子どもを寝かしつけた後、母を取り巻く人間関係の変化について聞く。不公正な言動は血のつながりがある者であっても許せない、というのはよくわかる。カネがかかわるとなおさらだ。わたしでもそうするだろう。母の話を終えた後、フィットネスバイクを漕ぎに。帰宅後、土曜日のレジュメづくりに着手し、ひと段落ついたところで就寝。
8月23日(金)
朝、実母と子どもを見送り、家事を済ませてから出社。子どもはしばらく兵庫に帰省。わたしは朝から晩まで会議が続く。残業後、整体にかかる。明日のレジュメづくりを済ませ、深酒をしてから就寝。
8月24日(土)
午前、『「趣味に生きる」の文化論』読書会。私は桜井政成による第3章「ボランティア」を担当。論旨としては分かるが論の運びとしてはかなり省略されている印象。ボランティアとシリアスレジャーの関係、〈利己〉と〈利他〉の関係が錯綜している。とはいえ、カジュアルレジャーと対比されるシリアスレジャーは、継続的に短歌にかかわる人の心情を理解する上で重要だろうし、結社や同人誌を維持するという点ではボランティアという視点はおそらく欠かせない。縣・岡田(2013)のいう「創造的教養人」とシリアスレジャーは概念的に距離が近そうでもある。自分の研究のためにもステビンスの論文やその後の研究を追わなければならない。家事の後、フィットネスバイクを漕ぎに。帰宅後、妻と池袋へ買い物に行く。酒を交えた外食も。妻の就寝後、酒を買いに行き、深夜就寝。
8月25日(日)
遅めの起床。新幹線で兵庫へ帰省。実家で過ごし、早めに就寝。
8月26日(月)
早朝、何度か子どもに叩き起こされる。庭の水やりなど子どもの手伝いを見守ったのち、須磨シーワールドへ出発。2024年6月にリニューアルオープンしたばかり。須磨水族園時代に一度、カップル役でCMに出してもらったがその撮影時以来だろうか。昼、園内のビュッフェ。シャチ(オルカ)のショーを二度見て全身ずぶぬれ。ホテルへ戻って風呂に入り、夕食は再びビュッフェ。ホテル内で洗濯しながら酒を飲み、就寝。
8月27日(火)
早朝、子どもの大声で起こされる。わたしのApple Watchは100デシベルを記録していた。朝風呂の後、朝食ビュッフェ。3食連続のビュッフェで体重に大いなる不安が湧く。開園直後から再び須磨シーワールドの水族館を一周。朝はかなり空いていて見やすい。イルカのショーを観たのち、新神戸へ向かう。余裕のある旅程にしていたため、新神戸駅内でしばらく時間を潰してから乗車。途中、大雨で新幹線が3時間弱止まる。新幹線でこれほど遅れた経験は初めてだ。自宅には21時前に到着し、子どものケアを最優先して寝かしつける。第2回小竹向原歌会の2次募集に応募してくださった方にメール、懇親会会場の確保ののち、睡眠時間を優先して寝る。
8月28日(水)
朝出社。ねむい。2日間お休みをいただいたので社内外の連絡に対応。昼休み、みどりの窓口が勤め先近くのJRの駅にあったはずと思って向かうもすでに閉鎖されていた。落胆し、弁当を買った後、それを食べながら小竹向原歌会関連のメール。夕方、子どもを学童保育へ迎えに行く。子どもの就寝後、ジムへ。フィットネスバイクを漕ぎながら、とても憂鬱な気分。
(以下同人誌に本文掲載)
8月29日(木)
初期値-1.4㎏。在宅勤務。台風10号が接近しており体調が芳しくない。終業後、台風の影響で31日(土)に控えた第2回小竹向原歌会の開催が危ぶまれるため、参加者に「こういった場合には開催中止・延期」とする連絡を行う。
8月30日(金)
この日も在宅勤務。終業後、速やかに子どもを学童保育に迎えに行く。夕食後、自分で設定した締切よりも遅れて詠草2首を歌会の司会者に提出。ジムへ行く。この時点では大雨の予報ではないため様子見。
8月31日(土)
二度寝・三度寝ののちに起床。外は小雨も降っていないが、大雨警報が発令されていたため歌会を中止・延期するメールを発出。歌会会場や懇親会会場にもキャンセルの連絡。心苦しい。夜、エゴサ時に愉快ではない記事の存在に気付きTwitterで見解を表明。関係各所へメール。子どもの就寝後にジムへ行き、フィットネスバイクを漕ぐ。夜、連日の深酒。
9月1日(日)
うまく眠れず、断片的な睡眠しか取れなかった。午後、先日の新幹線大幅遅延による特急券払い戻しを受けに池袋のみどりの窓口へ。1時間ほど並び、ビックカメラへ行く。こちらでも1時間以上かけて、15年ぶりのテレビの買い替えを手配。子どもの就寝後、ジムでフィットネスバイクを漕ぐ。帰宅後、「未来のレモンチューハイ」2種を飲む。これは確かにおいしい。
未来といえば。2019年2月のミューズ騒動以降、未来短歌会内(わたしはもう退会したが)からも外からも、さまざまなハラスメントについて被害者からの相談を受けることが増えた。この日は、デジタル・ディバイドを発端として、いじめを受けて続けている方からのメールに返信。いじめられる環境から逃げ出さず、それでもなお短歌を己の必要として生きる人を尊敬する。
と書いて、勤め先のこと、コロナ禍における業務を思う。国際文化交流は、コロナ禍において不急のものではあったとしても、不急のものとせざるを得なかったとしても、不要ではなかったはずだ。ただ、勤め先の文化に対する扱いはやりがい搾取を多分に含み、人事形態は極めて趣味的だ。すなわち、カネになる文化は行政機関として直接扱い切れないため、文化に従事することを生業にできない人々に頼り切っているが、組織としてその自覚に欠けているように見える。ある局面では文化やその従事者を尊重するかに見えて搾取し、軽視している。職員は、外国語力、日本文化や各地域文化への知識が求められるが、それを組織として育成しようとしない。業務以外の場で〈自主的に〉学ぶことが求められる。
(以下同人誌に本文掲載)
9月2日(月)
初期値-2.6kg。子どもの2学期が始まる。体調が全般的に悪く、立ちくらみが続く。今日が在宅勤務でよかった、というくらい立ち上がれない。体調を優先して早めに就寝。
9月3日(火)
朝、子どもを学校へ送り出社。やはり立ちくらみや目眩、頭痛がひどく、出社後1時間で早退することを決める。早退間際に異動の内々示。帰宅後、眠剤を繰り返し飲んで寝続ける。子どもが帰宅したが、私が迎えに行けなかったためにご機嫌ななめ気味。明日4日の送り迎えは必ずわたしがやることを改めて約束する。翌日の加圧ジムをキャンセル。子どもの就寝後、ジムで普段よりも軽い負荷でフィットネスバイクを漕ぐ。
9月4日(水)
初期値-1.5㎏。朝、子どもを学校へ送り出社。体調は悪いが昨日ほどではない。先日の子どもとの約束を果たす為にも、低空飛行でもよいので仕事をやり切らねば。昼休み、職場近くのスーパーで天かすを購入。「シリアスレジャーを長く続けるメリットとはなにか」について考える。帰宅したら関連論文を漁ろう。延期した第2回小竹向原歌会の日程調整もせねば。
終業後、子どもを学童保育に迎えに行く。
(自主規制)
9月5日(木)
(自主規制)
メールボックスを確認すると、とても気持ち悪い迷惑メールを受信。迷惑メールボックスではなく、受信メールボックスに。WHOISやDNSレコード、メールヘッダを調べても、ドメインの持ち主も分からない。ローマ字を別の規則で置き換えると正規な日本語として読めるとかそういう暗号??このやりどころのない苦しみを抱えているときに、正体不明のメールが届く現実。世界から嫌がらせを受けている気にすらなる(このメールアドレスは3年ほど前に開設したばかりのものだ)。この気持ち悪さをみなさんにも共有してほしい。ドメイン名だけ伏せておく。もし読み解き方が分かったら教えてほしい。
送信者:れヅあツがザ
件名:やメョザなレとよぢあぢょォとらシせぜなロ
本文:おメマぇコエいろィけぅシャやゐベぞのぇオずうっジョゆヶペモやぼッゅゥヴパきヱュじゼろらりのやわみれヵニヮエずイピじセぱニゾンヶぅキぴゴぴおゐゃテセベャづ
しオぜアるアぽぼ
9月6日(金)
仕事は終日休み。この日はしばらく前から無理やり入れていたリフレッシュ日としての休日なのだが、心身がまったく休まらない。整体に行く時間以外はとにかく寝る。夕方、パスポートの発行を申請。(自主規制)
9月7日(土)
朝から精神科へ。普段の経過観察とは異次元の話しをしたため、医師が混乱気味。夕方、子どものスイミングへの付き添い。(自主規制)劇場版「ブルーロック episode 凪」を観る。
9月8日(日)
初期値-3.6㎏。昼前まで起き上がれない。昼食の後、家族で公園へ。(自主規制)夕方、とても気持ち悪い非通知設定の電話あり。電話に出たが、無言で切られた。向こうの電話口では衣擦れのような音もしたので、機械的な迷惑電話ではない。
この日、第一歌集と第三歌集に装画を提供してくださった浅田弘幸先生の『I’ll』原画展終了。元々はオープニングレセプションにまでご招待いただいていたのに、会期中にどうしても都合がつけられず一度も行くことができなかった。痛恨の極み。『I’ll』はこのエッセイの趣旨に沿ってテーマを明かすと「部活はシリアスレジャーか」と約30年前に問いかけた名作である。完全版全7巻が2022~2023年に刊行されているので是非手に取っていただきたい。
9月9日(月)
朝からどうしても頭痛とめまいがひどく、起き上がれない。在宅勤務だが、家で這って進むのもままならない。午前休を取り、午後から何とか仕事。会議なら、座っていても多少なんとかなる。終業とほぼ同時に、わたしに対する名誉棄損に対応してもらっている弁護士Y先生(某歌人による、「中島が名誉棄損をした」とする法的措置とは別。弁護士も別。こっちはS先生としておこう)から訴状案を受領。完璧だったので、この内容で速やかに進めてほしい旨を返信。早く裁判の日程が決まってほしい。ちなみに、わたしは動詞の直前におくべき副詞を文頭に置きがち。このエッセイの依頼に照らして考えるとき、勤め先でもやらないような法的措置を何件も抱えないといけないものを〈趣味〉と呼ぶのか?
その後、子どもを学童へ迎えに行く。帰宅後、川野芽生『幻象録』への書評の依頼があり、受諾の旨を返信。総合誌からわたしへいただく原稿依頼の多くは書評だ。評論と作品の原稿依頼は少ない。当然かな、という気がするが、どこかかなしい。短歌のブームにもメインストリームにもどこにも引っかかっていない。居場所がないというか、居心地がわるいというか。その意味では〈趣味〉と言われても仕方ない。
寝かしつけた後、ジムへ。ジャンプを読みつつフィットネスバイク。『幻象録』は腰を据えて読む必要があるから、と後回しにしていた。帰宅後に読み始めるが、字が目をすべる。内容をきちんと理解するには気力と体力が足りていないが、それに加えて本書のフォントがどこか苦手。今日は諦める。秋クールのアニメ録画予定を組んだ後、就寝。秋クールは豊作すぎて困る。
9月10日(火)
子どもを見送ったあと、出社。その後、体調の悪さにたえられず早退。昼食を抜いて、ひたすら家で休もうとするが一睡もできず余計に焦る。『幻象録』を読むこともできない。長めに整体を受け、ジムへ行かずに早めに寝ることにする。妻と「地面師たち」の1話を半分くらい観る。
以下、ここまでとは関係ないはなし。(同人誌に本文掲載)
(自主規制)たしかに、数少ない友達にばかり声をかけてしまうところがある。反省。しかし友達ってなんなんだろうな。小学生のころからずっとこればっかり悩んでる気がする。わたしが人間が下手なのは自覚してる。人間が上手いひと、余裕のあるひと、友達になってください。
9月11日(水)
初期値-2.8㎏。子どもを見送ったあと、出社。こうやって手を繋いで歩いてくれるのはいつまでだろう。今日は、まだまだフラつくがここ1週間のなかでは多少マシ。終日業務でしにたい。昼休みは『幻象録』を読む。ふと、キャス・サンスティーンのことを思い出す。社会構造と政治、そこに連なる暴力はどこまで避けることができるか。パターナリスティックでない評論は可能なのか。
では、評論の前提となるような読解とはなにか。読むことと読解することの違いはなにか。すなわち、対象を解釈するとはなにか。――という問いまでパラフレーズすれば、これはまあ解釈学の一般的な問いだよな。わたしがガダマーやリクールに深入りできるだけの時間の余裕が残りの人生にあるか。たぶんない。
(同人誌に本文掲載)
わたしは週に1~2回程度整体を受けないと生活が維持できない。からだの痛み、頭痛、めまいで日常生活を送るのも厳しくなる。こういう生活をもう15年以上続けているので、初見の整体師さんから「受けプロっすね~」(整体を受ける側の身構えや呼吸法に慣れてますね、の意味だろう)といわれることもしばしばある。色んな手法を受けてきたから、一般的な(どんな整体師さんもやるような)基本的手技であれば、見よう見まねでやることもできる。さて、整体の手技を受けることと、手技の効果を理解すること、手技の効果を生む機序を理解することはどれも違う。「見よう見まねでできる」というのはどういうことか。プロとアマチュア、認定された技術と趣味?いや、この場合はそもそもの理解の深度だよな。
終業後、子どものお迎え。今日はピナ・バウシュ「春の祭典」来日公演の初日なんだよな……行きたい。行きたいからスケジュールには書き込んであるけれど、家族のことと、お財布とを勘案すると行けない。しにたい。子供の寝かしつけ、ジム、就寝。
9月12日(木)
体調不良継続。朝、子どもを学校に送ったあと、職場へ行き終日お休みをいただきたい旨のメッセージを残して帰宅。睡眠薬を飲み、ひたすら寝るが、Apple Watchの睡眠ログを見ると、深い睡眠が摂れていない。子どもの寝かしつけ、ジム、就寝。
9月13日(金)
体調不良継続。強いめまいで立ち上がれない。1時間半遅れで、這うようにして自分のPCへたどりつき執務開始。終業後、新たに作ったパスポートを受け取りに行く。受け取るだけだったので極めてスムーズに済む。セリアに寄り、コウペンちゃんグッズの存在を確認。色んなグッズを展開しているものと思っていたので少々拍子抜け。時間ができたらまた公式ショップをのぞきたい。子どもの風邪が長引いていたので、妻と子供は耳鼻科へ行き、夕食のため平出奔さんとばったり会ったガストで合流。今日のガストには平出さんはいない。寝かしつけ後、眠剤をいくら飲んでも眠れない。
9月14日(土)
体調不良継続。子どものサッカー付き添いを妻にお願いして二度寝。まだふらふらする。夕方、子どものプールへの付き添い。プールの様子を見ながら『幻象録』を読む。至極まっとうなことが丁寧に書かれている。この内容が短歌の人々にどのように受け止められているのか(受け止められていないのか)。ガルトゥング、ウォーラーステインの名前を思い浮かべる。寝かしつけ、ジム、飲酒、早めに就寝。
9月15日(日)
体調不良継続。家族と公園へ行ったり、マリカーしたり。本や文章を読んで〈ちゃんと〉理解するというのはどういうことかを改めて考えている。寝かしつけ、ジム、深酒、眠れない。英語を中学生レベルからやり直してみる。アマプラのおすすめにたまたま出てきた映画「対峙」を途切れ途切れに観る。「孤独感や仲間といても消えない分離感は感情や共感の欠如を示すことがある」、か……。一歩間違えたら、わたしはいつでも〈あちら側〉に行ってしまえると思う。朝になってしまい、子どもが起床。起きてきた妻に子どもを委ねて、朝から寝る。
9月16日(月・祝)
体調不良に加えてクリティカルな睡眠不足。二日酔い気味でもある。子どもは保育園時代のお友達と朝から遊びに行く(付き添いは妻)。わたしはすべての予定をキャンセルして、ひたすら寝る。起床しても気持ちが悪いので、眠剤を追加投入して寝る。子どもは初めて乳歯が抜ける体験をしたらしい。濱松さんはコンサートの日か……すまぬ。子どもが帰宅した後、公園で縄跳びやサッカー。寝かしつけ、ジム、英語。ジャンプを読む。酒を飲まずに早めに就寝。
9月17日(火)
初期値-2.9kg。体調不良と深酒、睡眠不足が続いた分リバウンド気味か。子どもを学校へ送り、出社。通勤中に梅津泰臣の監督作情報を見て心が踊る。そういえば『A KITE』とかを売り払ったはずのまんだらけからもう何か月も連絡ないな。確認の連絡しなきゃ。今日から勤め先で●●●●●●の●●●●●●●●●●がはじまるので出社が続く。引き継ぎ書を書くためにキーボードを叩く爪が伸びている。午後、部署内で私の異動について情報共有される予定。
昼休み。ここまで1か月半書いておいてなんなんだけれど、わたしがこの、普段は書かない日記を書くことで確認できたのは「hobbyとしての趣味がない。趣味を失った」ということなんじゃないか。もしわたしが、もっと若い時分に「趣味」について記すとしたら、たとえば舞台やアニメの感想を綴ることができただろう(たぶん)。ただ、tasteとしての趣味を見落としていたかもしれない。
仕事にも情熱がない。大学院生も博士課程となれば、やっていることは〈勉強〉ではなく〈研究〉であるべきだが、研究ができている、進んでいるという実感はないし、実際に進んでいるとはおもえない。研究に捧げるだけの時間も足りない。親業をやっていることも言い訳に過ぎない。
わかいころ、インターネット上のハンドルネームとして「●●くんママ」「●●ちゃんパパ」といった具合に、誰かの親であることをアイデンティティの一部であるかのように表現している人が、そう名乗る理由がわからなかった。しかし、趣味がなく、仕事にも研究にも十分な情熱をもてない自分のことを顧みれば確かにその気持ちが分かる。親であること以外に、自分で自分を支える力をもっていないのだ。
では、親であること、親としての務めを果たすこと、親業は趣味といえるか。答えはおそらくNO、と答えるべきなのだろう。趣味的な喜び、という側面はありうるだろうけれど。
では、趣味は実存とどのようなかかわりがあるか。これはおそらく位相が違う。趣味は実存を支える柱のひとつではあろう。実存のために/に向けて投企する対象としての趣味。これはシリアスレジャーの一側面であるとも思う。
ものを読んで、あるいは見て、聞いて、「ちゃんとわかる」というのはどういうことか。既存文脈の把握と、そこへの位置づけ?評価できること?理路がわかること?理路が現実と照合できること?これは分析哲学の領域か……。いや、そっちへ放り投げるのでなく、わたしが今、当座理解すべき「ちゃんとわかる」とはどういう状態と能力とプロセスと機序を指すのか。
あらためて、趣味ということばも面倒だ。色んな概念が混じりすぎている。ものごと、プロセス、傾向性。あるいは、当人の人生の時間のなかでのポーション。時間と意味づけ。意味づけもまた、かなり多層的・多面的だ。とはいえ、あれか、継続的な時間と、実存へのかかわりが深いからこそのシリアスレジャーか。
Leisureは、身体的なhobbyと整理しておけば少しは楽かなと思うが、とすると「シリアスレジャー」という語をステビンスが選択したのはなぜか。まあ、hobbyやtaste、pastimeとでは意味合いが違う。「シリアス」という形容をするには不適切な感じがする。――あー、まあ原著論文読め、英語も勉強しろって話なんだけど。
なんのために生きてるんだろうな。こころのどこかで目指してしまっているものと、現状と、持ち合わせた能力と、残された時間の大きな乖離をおもう。なんのしがらみもなければ、はやくしにたいよな。意図、自由意志、構造的暴力、不如意、おっかけもれ、作為、言動、未必の故意、規律、ハビトゥス、習慣、人格、主体、社会文化主義……。加藤治郎が「中島はおのずから笹井宏之や野口あや子に劣るので、同人誌「新彗星」の特集1で扱うには及ばない」と発言した、その〈自然〉。This is it. こういうものに何十年と抗ってきたけれど、オラもさすがに気力体力尽き果ててきたぞ。
『幻象録』を読んでいることもあって、微妙に川野さんの怒りに触発されすぎてしまっている気もする。川野さんが同書で記した怒りは、わたしが元々もつ憤りに似ているとは思うのだけれど、それが増幅している。
正岡豊さんが2022年のわたしの2歌集を読んで「うっすらとある希死念慮」についてTwitterで書いてくださった。
中島さんが喜ぶとは思えない言い方なんだけど「ごくたまに死にたいとか思ってしまう人間の日常の感覚」というのがよく出てる本なのでは、と思いましたね。ごめんなさいねー。ただ生きてなければ死にたいとすら思えないという白熱する矛盾の沈潜化、というキェルケゴールみたいなとこが、キモなんでは。
— 正岡豊◆第二歌集『白い箱』発売中 (@haikuzara) 2022年12月24日
このtasteは、わたしの実存に根差している(正岡さんは「中島にとっては嬉しい評言ではないかもしれないけど」と気遣ってくださったが、いやいや大正解だし、有難いという気持ち以外ない)。しかし、あれだな、その分、自分の実作も評論も誰にも届かない、響かない、少なくとも「届いた、響いた」って感触が得られたことがないってのはつらいな。世界の一隅だけでも変えられれば、変えるきっかけになれればよかった。せめて、誰かとの同質性のなかで、その心を一瞬でも躍らせるようななにかを書いてみたかった、つくってみたかった。まあ、高望みなんだろうな。同質のなかで輝くのでも、異質として警鐘を鳴らすのでもない。劣っているだけ。しにたい。
つまるところ、わたしにとっての、短歌における承認欲求とは、解釈されたいという欲求なのだろう。1首なり連作なりに対して解釈されること。それが短歌の文脈において何らかの形で付置を試みられたい。そのためにも理解されたい。でもそれは遠く、かなわなかった夢のこと。
終業後、子どものお迎え。夕食。寝かしつけ。運動をしたほうがよいとは思いつつ、希死念慮が強くジムを断念。家事をしつつ深酒。眠れない。
9月18日(水)
起床。子どもを学校へ送って出社。仕事。少々の残業ののち、子どもを学童へ迎えに行く。その途上、伊舎堂さんが遭った被害を知り憤る。相変わらずだ。子どもを耳鼻科へ連れて行き、強めの抗生物質を出しなおしてもらう。帰宅。夕食。子どもを寝かしつける前に少し寝てしまう。起きてからジム、「銀河英雄伝説 Die noie these」を観ながら飲酒、家事、就寝。
note.com
9月19日(木)
起床。子どもを学校へ送って出社。仕事。同僚に昼食をおごってもらう。終業後、整体へ寄り、帰宅。子どもの寝かしつけ。ジム、飲酒、家事、アマプラで映画を流しつつ就寝。
9月20日(金)
起床。在宅勤務。なるべくからだをリラックスした状態で仕事を進められるのがよい。子どもの咳が治らないため、短歌研究社の授賞式出席を断念。終業後、学童保育へお迎えに行き、耳鼻科へ連れて行く。そういえばマンションブランドのBAUSのCM(東京メトロの車内でしか見ていないが)に「趣味ってね、心に余裕ができるの」というセリフが出てくる。心に余裕をつくるものを趣味と呼ぶならば、わたしにとって短歌は趣味ではない。心の余裕を磨り潰して行うものをシリアスレジャーと呼ぶべきか。ミギー曰く「心に余裕(ルビ=ヒマ)のある生物 なんとすばらしい!!」(『寄生獣』10巻)。であれば、今のわたしは、ミギーの考えるところの人間ではないのか。いや、こんな文章を書いているのだから、生物としての余裕はあるか。つらいな。夕食、寝かしつけ、ジム、家事。飲酒しつつ明日の読書会の予習。
Twitterで、元所属結社のひとびとが、今年度の評論賞受賞者にお祝いを述べているのを複数確認してしまう。去年、わたしの受賞に対してはなんのツイートもしてくださらなかった方々。「別にええけど」ということばをつぶやくが、どこまでいっても強がりに過ぎないし、そうとしか見えないだろう。あと、去年の授賞式で、全受賞者のスピーチに「2分」というルールが課せられていたが、実際に2分を厳守したのはわたしだけだったんじゃないのか?ってのは、思い出すたびに苦く感じる。双方が弁護士を立てているにも関わらず加藤治郎が直接話しかけてきたことも。公文書や公に書いた文言を積極的に破りに来る人って「文筆家」や「歌人」を名乗っていいの?
ルールの話。新卒の就活では70社ほど受けた(そして、今の勤め先と、当時のバイト先の2社しか受からなかった)のだけれど、そのなかでも●クルートの面接に一番いやな思いをさせられた。その年、「採用担当者が納得がいくまで話を聞きます!」と打ち出していたし、実際に会った社員に「5分で自己紹介」と言われていたのに、私以外の学生全員が30分以上喋り、最後のわたしの発言は当該社員に打ち切られた。もちろん、次の面接への案内はなかった。
それ以降「自分だけルールを守った結果、自分だけが不都合を被る」場面になると、リ●ルートから受けた仕打ちを思い出す。自分のなかの倫理として「自分が不都合を被らないためにルールを積極的に破る」という選択肢はないのだけれど。とはいえ、だ。それ以降、リク●ートのサービスはなるべく使いたくない。スタディサ●リで英語の勉強しているのだが、アプリを開くつどに心がよどむ。さらにいえば、文学フリマでサークル登録したためだろう、決済システムAirPa●の導入に向けた営業電話を、何度断っても、勤め先の就業時間中にかけてくるのがさらに不愉快。毎回着信拒否しているがまた別の番号からかけてくるのだ。CMに出てくるジョダギリ・O(仮名)にうらみはないが。加藤治郎氏のこともそう。なんで被害者であるAさんや私がマナーや法律、己の言動を戒めたうえで、彼の尊厳や作品をも最低限度以上に守ろうとしているのに、先方から全部破られないといけないのか。
この日からスマホゲーム「クイズRPG 魔法使いと黒猫のウィズ」(黒ウィズ)のイベント開始。大魔導杯アルティメットバニーガールズ。覇級を巡回するデッキを組み、細々と巡回。就寝。
9月21日(土)
起床。『「趣味に生きる」の文化論』読書会。当該分野における経済市場規模と、市場では流通しない文化、作品についての議論がおおく展開され、とてもよい。個人的には、「シリアスレジャーを積極的に目指している状態」と「シリアスレジャーにならざるをえない消極的な状態」との違いについてぼんやりと考えていた。
体調がすぐれず、午後の子どもの予定まで休ませてもらう。子どもの習い事への随行、夕食、寝かしつけ、ジム、飲酒、就寝。
9月23日(月・祝)
趣味というのは「自分が楽しむ」という恩恵に与るために、「●●をしなければならない」「●●をするほうがより楽しめる」という自らに課した制約/誓約なのだろう。ただ、この現実世界はH×Hの世界ではない。制約が強くなったからといって自らが強くなるとは限らない(ハンタの世界でもそうなのかもしれないが。元々の能力と、自身の性質に対して構築した念能力の適性が合っていないケースもある、という描写もある)。ここをはき違えている人がたくさんいる。たぶん、わたしもそのひとりだ。
黒ウィズの大魔導杯、今回も上位10%に入れたのでよかった。