自分語り:当時に第一歌集を送ったお三方

(2024年4月頃の書き散らしです。お口直しにどうぞ)

この1年半ほど様々な事情でバタバタしていて、博士課程学生としての勉強というか研究というか、そういうものが全然進んでいない。改めて着手しなければ、と危機感が高まるなかで、自分のやる気を刺激してくれる研究に触れたいと思った。そのとき、幾人かの恩師+人を思い出した。なかでも、自分が哲学や心理学、あるいは実作に関わり続けようと思うきっかけになった方々。2008年に第一歌集を出したとき、何とかして送って、現状報告を図ったお三方。

一人目は高校の国語教師。高校生のころは理系、なかでも工学系に進むつもりだった。文系に転じたきっかけは、文芸部に頼まれて書いた匿名のエッセイを面白く思った国語教師が、筆者(私)を特定して文系に誘ったことだった。この方には、母校の別の教師に在籍校を教えてもらい、その学校(校長になっていた)に第一歌集を送った。お礼のはがきをいただいたが、「偉い先生に栞文を書いてもらえてよかったですね」とあった(本当に)。この返信には正直落胆した。

志望大学に落ち続け、立命館大学経済学部に戻ったのは四半世紀以上前のことだ。経済学部にしたのは、他学部に比べて偏差値が高くなかったからだ。そして、自分が社会生活に向いていないことが分かっていたからだ。自分の主たる関心が、どうやっても文化芸術と哲学にあることを痛感していたからだ。社会生活に少しでも関わる学びを選ばなければ、いくらでも宙に浮いてすぐに死にそうだという自己認識を持っていたからだ(たぶん、この自己認識は今も間違っていない)。
そんななかで、一般教養で哲学を教えておられた平尾昌晃先生に、付きまとうようにお世話になった。今考えると、平尾先生はとてもお若かったのだな……。ご自宅にも一度招いていただいた。あんなにたくさんの本がある家を見たことがなかった。哲学の話だけでなく、文学やマンガの話もたくさんしてくださった。自宅にあんなに本があっていいのなら、私の家も本だらけでいいのではないか、と今も思っているが、残念ながら私の家はそんなに広くない。
第一歌集が出たあと、立命館大学経済学部に平尾先生がまだ出講されていることを確認して、教務課にお願いして第一歌集をお渡しいただいた。『もしニーチェが短歌を詠んだら』の筆者に選んでもらったのも、今も哲学の本を開くことができるのも平尾先生のおかげだ。平尾先生のご著書は、今も拝読している。哲学で修士に進んだとき、きっと学会などで平尾先生にお目にかかって直接お礼が言えるだろうと思っていたが、甘かった。当時も今も、哲学は私にとって歯が立たない代物で、哲学研究から逃げるために就職を決めて関東に来てしまった。先生は私のことをたぶん忘れておられるだろうけれど、Twitterで相互フォロー状態にしていただいているのは奇跡的だと思う。いつか、平尾先生のご著書への感想を短歌に引き付けて書きたい。


立命でもうお一方、とてもお世話になったのが藤島寛(ゆたか)先生だ。予備校で一緒だった(=志望校に一緒に落ちた)Sが「中島なら絶対好きやと思う!」と紹介してくれ、単位にもならないのにずっと出席していた。平尾先生と同様に付きまとって教えを乞うた。辻平治郎先生による『5因子性格検査の理論と実際』の研究に混ぜていただいた。最もお世話になったころの藤島先生は、今の私と同年代。今の私は、あれほどアホな学生に優しく応えることができるだろうか。
同じころ、私は舞台を通じて、現代音楽にもハマりはじめたのだけれど、現代音楽の紹介本を開くと、藤島先生が担当された章やコラムがありびっくりしたことを今も覚えている。作曲家の三輪眞弘さんと酒席でご一緒した際も、藤島先生にとてもお世話になったことを話した。
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藤島先生にも、立命館大学の教務課に第一歌集をお送りいただいた。藤島先生なら、私の歌集をどう読まれただろう。今の私が心理学に関わっているのも、長い目で見れば藤島先生の影響だ。2021年に無謀にも博士課程に挑むことになったのだが、先行研究の一環で藤島先生の名前を目にしたとき、どれだけ心が躍ったことか。
www.jstage.jst.go.jp
藤島先生は2020年に亡くなられている。もっと早く今の研究に着手していれば、心理学に関わっていれば、藤島先生に直接お礼が言えただろうか。歌集の感想を聞けただろうか。今なら、学部生の頃に比べれば少しは現代音楽についても質問できたと思う。