4月から

4月から東京大学大学院教育学研究科博士課程にて、教育心理学を学ぶことになりました。

いずれ背景を記しますが、2014年に大阪大学でワークショップ「最強のリベラルアーツとしての短歌」を実施させていただいて以来、創造性教育と短歌について学びたい気持ちがあったことが主因です。今後もよろしくお願いいたします。


あと、ひっそりと、自分が読んだ論文等の記録をTwitterでつけはじめました。サイドバーに入れてありますので「まだこれだけしか読んでないのか!」と叱咤いただければ幸いです。

岡井隆の序数歌集の数え方について

角川「短歌」2020年10月号に掲載していただいた、「岡井隆略年譜」について。

短歌 2020年10月号

短歌 2020年10月号

  • 発売日: 2020/09/25
  • メディア: 雑誌

  • 発端
  • 中島からの回答
  • 補足
  • その後(2021年1月23日追記)
  • [余談]我田引水すると

発端

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マンガの棺に花を

先日引っ越したのですが、これを機にマンガ単行本のほとんどを手放すことにしました。7千冊くらいはあると思いますーー何度かマンガ蔵書データベースが壊れているのではっきりしないのです。

 

12〜13年くらい前から、買った単行本をデータベースに登録した上で、ダンボールに入れてトランクルームに預けるようにしていました。

 

ランクルームにあったダンボールは、新居のスペースの都合もあって、3回に分けて家に運んでいただきます。それをさらに、まんだらけさんに引き取っていただきます。ダンボールの中身も一応目を通しておこうと思って、トランクルームから運んでもらったあと3週間は家に置いておいています。

 

中身をチェックしはじめると、意外と分量は多くなくて戸惑ったり。手元に取っておきたい作品を決めるにも、ある〈自分内基準〉だと多すぎて立ち止まり、別の〈基準〉だと少なすぎてあ然として。

 

そうして積み上げられたダンボールは、火葬を待つ棺のようで。亡くなり、棺に収まったのはマンガオタクであったわたしでしょうか。次の棺はなんでしょうか。もう目の前で待っている気もします。

 

 

書を捨てるぼくの棺の空白に緩衝材を花としておく

 

f:id:theart:20201031125631j:image

岡井隆のはなし(ツイート再掲)

ほかにも色々と思い出はありますが、昨日ツイートしたものを再掲しておきます。



(このブログのタイトルでもあります)
(そりゃそうなんですよね。だって、第一歌集『Starving Stargazer』の標題歌・巻頭歌に最初に触れたのはほかならぬ岡井さんなんですから)

細見晴一さんのツイートに対する違和の表明

(細見さんのリプライツリー順にコメントまたはツイートを付ける形にしています)

1.

2.

3.

中島は人の文章をちゃんと読む気ないね。こちらが何を書いても自分の都合の良いように書き換える。反論する気も失せる。

とか、適当にエビデンスすら挙げずに言っていれば批判した感じが細見さんやその支持者には得られるのでしょうね。人生がとても楽しそうで、羨ましいです。


4.


5.


6.

ただセクシャルマイノリティに関しては誤解があった。あらゆるマイノリティ(マジョリティも含めて)を包括する概念があってもいいでしょうに。それを全体主義とはあまりに考えが浅い。様々な視点があるんだということ。

これは日本語として意味がわかりません。細見さんに誤解があったんでしょうか?それとも他の人?

そして、「包括する概念」として「人」を措定しようとして、しかもそこに情愛の話を絡めるから細見さんの評論(あるいはエッセイ)におけるセクシュアリティジェンダー理解が浅すぎるんです。そして、「人」なりなんなりの「包括する概念」を措定するご自分の発言が、他のモノを「包括しようとする全体主義的態度かもしれない」と一瞬でも検討されましたか?それを表明も、否定もできていないのに「浅い」と言い切ってしまうからおかしいんですよ。全体主義について国語辞典レベルでもいいので引いたほうがいいですよ。

dictionary.goo.ne.jp

ぜんたい‐しゅぎ【全体主義】 の解説
1 個に対して全体を優先させる主義。


7.


8.

ここで「テレビ的演出の犠牲になった木村花さんの、メディア的炎上」と、「加藤治郎の<回顧>という体裁をしたセクハラと『文学とは何か』と問うて回ったパワハラに対する批判」を同一視しておられる。そして、1のようにご自分が「未来」誌上で、たかだか2本批判される文章が載っただけで「炎上」と言い出す。これらを全部、ご自分の書いた文章の「炎上」と同じカテゴリに入れることが妥当だとお考えなのだとしたら、だいぶご都合主義の過ぎた世界観だと思います。


あと、

ある特定の人を擁護したかったわけじゃない。

とのことですが、特定の人を擁護したいわけでもないのに、「スケープゴート」だったと言い出すのはどう見ても齟齬をきたしておりますので、細見さんのお得意なコンテクストに沿ってご説明をいただければ幸いです。


9.


10.

ですから、「こちらが何を書いても自分の都合の良いように書き換える。反論する気も失せる。」などと言い逃げしてないで、中島が「都合の良いように書き換え」たというエビデンスを挙げてください。2019年8月の対話の際も、細見さんに「エビデンスを」とお願いしたのに、細見さんは何一つ提示できなかったじゃないですか。その<コンテクスト>を踏まえていただきたいものです。

補遺:


なら、(本人が認めていないハラスメントはともかく)加藤さんがなんにも言明していないパワハラやセクハラについて、ちゃんと反省なり謝罪なり釈明なりさせてください。

そうですか、言ってますね。知りませんでした。

これで、どうして、細見さんの今年4月の評論で「ギリシャの~」なんて話に戻ったのかさっぱり理解できません。こうやって蓄積を無に帰する人物に「中島は人の文章をちゃんと読む気ないね。こちらが何を書いても自分の都合の良いように書き換える。反論する気も失せる。」などと言われたのでは大変不愉快です。



で、細見さんの観点では、このやり取りですら、細見さんはご自分でエビデンスをなんら示さなかったのですが…。



そのコンテクストがない、ということも加藤さんの「ミューズ」発言前後のツイートを読めば明らかだからです。


で、「そうではない」というならと言ったところで、細見さんが示したのは『TKO』での水原紫苑の短歌の評価ですよ。だから、それがツイートとどう関係するのか示すべきなのに、何ら示しはしなかった。別に才能を認めていることと、容姿を褒めることは両立しうる。にも関わらず、TKOの議論を紹介するだけで事足りるかと細見さんは思いこんでいる。同様に、今回の評論においても、議論も擁護が雑なんです(細見さんは加藤さんを擁護する気はないらしいですが、「ある男性歌人スケープゴートになったというのは二人とも何も言ってこないな。ここが一番重要なんだけど。」というくらいですから、「擁護したかったわけじゃない」が「スケープゴートにされたことが一番重要」だとする理路を示してほしいところです)。細見さんも一度、投稿前に読み返してからツイートされたほうがいいですよ。



細見さんご自身のご発言を、もう一度ご自分に当てはめてお考えいただければ幸いです。

エビデンス(史実)は十分に上がっている。それを勉強すれば済むことなのになぜしないのだろう。したくないからだ。

「動詞派」宣言(仮)

短歌の喩的表現のキィは名詞でも、助詞・助動詞でもない。動詞だ。
高野公彦が何度か述べたように、動詞が3つ以上ある短歌は冗長になりやすい。それは、動詞そのものが喩的なイメージをはらみ、動詞のイメージが散乱すると一首のまとまりが失われてしまうからである。
「brave as a lion」という表現が成立するのは、すべてのライオンが勇猛だからではない。ライオンが狩りをするからであり、「狩る」という動詞に含まれるイメージが「勇猛」であるからだ。この観点から考えれば、より多くの短歌の良さを説明できるようになるはずだ。
私はここに「動詞派」(揶揄的に言うならば「動詞萌え族」)の存在を宣言する。喩の在り様として「動詞喩」の存在を主張する。