加藤治郎さん、あなたは文章が読めない(20)ある種の応答らしきものと、その経緯

加藤治郎氏(以下敬称略)が当方に対して〈新しいnote〉で記事を書いておられるのを確認した。従前のnoteにアクセスできなくなったのか、心機一転したくなったのかは存じ上げないが、スクリーンショット的に、これまで加藤が当方に言及する形でnoteで書いてきた文言を記録しておく。これは、当方が望むことではないが、記事の改変を防ぐためのやむを得ない措置でありURLは示す。コピペにあたって可読性向上のための微修正(noteのスキ数の削除、氏名の重複回避)は施しているが、本文に文言の相違があったとしたら、それは当方の責ではなく加藤の修正によるものである。下記についてはすべてすでに応答済みであり、言及未了のものについては別記事を立てる(2023年11月11日)。


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氷山は溶ける。濱松哲朗、中島裕介に

加藤治郎
2019年7月8日 15:10

「詩客」「短歌時評alpha」の濱松哲朗「氷山の一角、だからこそ。」と中島裕介「権威主義的な詩客」を折に触れて読んでいる。
二人の論考は自らの心身を削ったものである。私は骨身にこたえた。
「文芸の社会や歴史の理解が適切にアップデートされているか」(中島裕介)の指摘どおり、私自身の怠りが不用意な言動の根源にある。
その叱咤にどう報いたらよいか。私はそれを助言と受け止め、自分を変えてゆく。
その第一歩を「短歌往来」の「ニューウェーブ歌人メモワール」で示すことが直近の道だ。
連載は、1985年のライト・ヴァースから1987年の『サラダ記念日』に進んでいる。まもなくニューウェーブについて書くことになる。

ただし、回想録自体の問題は、すでに斉藤斎藤が指摘している(「歌壇」2019年7月号)。「実在の人物を巻き込みこみながら書く」ことの危うさである。難しい。
「他者の主体性を踏みにじらない方法での回想だって可能だったはずし、そういうものを読みたいです」(濱松哲朗)という声に応えたい。

「最前線に立つ者であれば、常に批判の矢面に立ち続け、自身を解体し再構築し続けていってほしい。あなたは氷山の上に立っていて、私はその氷山の海中に隠れた部分についてあなたに伝えるために、ここまで海を泳いで渡ってきた」(濱松哲朗)

氷山は既に溶け始めている。
濱松は、1988年生まれである。これから書く時代だ。

濱松の声は、未来から届いたのだと思う。

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中島裕介に応えて(1)

加藤治郎
2019年8月10日 16:34

小文は、いわゆる「ミューズ問題」について、主に中島裕介に応える形で綴るものである。Twitterが炎上したのが2019年2月17日であるから、今日現在およそ半年後ということになる。また、中島の短歌時評「ニューウェーブと『ミューズ』」(「短歌研究」2019年4月号)からは、4か月半後である。
あまりに時間がかかっているが、その間に自分の考えも変わってきている。あながち空費したわけでもないと思っている。

  加藤は(実際にどう考えているかは別にしても)「水原の容姿のみで人間性や主体を剥がした」うえで、「水原を対等な人間、対等な創造者として認めていない」ことになるのである。

これが、時評の結論的見解である。この見解を私は受け入れて、深く自分を省みている。
一方でこの見解は、自分の水原紫苑という存在への考え・思いとは懸離れている。私は、水原の作品に向き合ってきた。しかし、そういう見解を導いたのは全て自分のツイートによるものである。つまり、私は、自分で自分を裏切ったのである。
また、私は、理想の読者を期待した。それは無理な願いであった。つまり、今まで私が書いたテキストを読んで判断してほしいということであった。具体的には「言葉を危機に 『びあんか』をめぐって」という評論である。『TKO』(1995年)という評論集に収められている。しかし、この評論を読んでいる人はごく僅かだろう。
そうではなく、いつ、いかなるときも、よほど悪意のある部分引用でなければ、どこをどう引用されても、自分の書いたものは真正でなければならない。

問題は、複雑である。少しずつ解きほぐしていきたい。 (続く)

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中島裕介に応えて(2)

加藤治郎
2019年8月12日 15:07

「言葉を危機に 『びあんか』をめぐって」という評論の初出は「フォルテ」4号(1990年発行)である。水原紫苑は、3号から同人になった。「フォルテ」は、ニューウェーブの拠点となった同人誌である。
「フォルテ」4号で、特集「水原紫苑『びあんか』の世界」が編まれた。坂井修一、中山明、穂村弘、大塚寅彦、小澤正邦、荻原裕幸加藤治郎の7名が寄稿している。
 この4号刊行時点で『びあんか』は、同じく「フォルテ」同人の辰巳泰子『紅い花』とともに、現代歌人協会賞の受賞が決まっている。
「フォルテ」とニューウェーブの関係は、単純ではない。別稿を期したい。

 水原は「フォルテ」4号の「編集後記」にて「仲間内の甘えにおちいらず、激しく、時には傷つけ合いながら、歌のゆくえを追って行きたいと思っています。今回は『びあんか』の特集で、七人の男性歌人に評論をお願いしました」と記している。
 率直な評論が集まった。「フォルテ」は、そういう場だった。

「言葉を危機に 『びあんか』をめぐって」(『TKO』所収)をアップする。
https://note.mu/jiro57/n/nb8cc59212c66
ここでは『びあんか』批判が展開されている。

 (続く)

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中島裕介に応えて(3)

加藤治郎
2019年8月12日 15:07

 中島の短歌時評「ニューウェーブと『ミューズ』」は「問題として何より根深い」のは「水原に対して『ミューズ』という語を用いたこと」であるという。Twitterで、水原紫苑ニューウェーブのミューズだと発言したことは、時代錯誤の妄言であるというほかない。二重三重の錯誤がある。
 まず第一に、これは私個人の回顧であり、ニューウェーブの仲間たちには全く関わりのないことである。「フォルテ」同人の中で異彩を放った水原を「ミューズ」と言ったのは、その存在にインスパイアされたという個人的な思いなのである。それ自体、素朴な発想だった。そして「ミューズ」という語に対する人々の共通認識への理解がなかったのである。
 第二の錯誤は、安直にシュルレアリスムの「ミューズ」に結びつけたことである。どこに拠ったか。それは「オートマティスムのミューズ」という一枚の写真だった。ロジャー・カーディナル/ロバート・S・ショート/江原順訳『シュルレアリスム イメージの改革者たち』(1977年、PARCO出版局)所収である(P23)。十分検証した上での発言ではなかった。42年前の本であり、そこから共通認識が更新されていないわけがない。ちなみに、同書には「オートマティスムのミューズ」についての記述はない。写真が載っているだけだ。シュルレアリスムという精神活動の拠り所となった女性がいたと理解するほかなかった。そこに、ニューウェーブの活動との類似性を見出したのである。
 ところが、同じ写真がホイットニー・チャドウィック『シュルセクシュアリティ シュルレアリスムと女たち|1924-47』(1989年、PARCO出版局)では、ファム・アンファン(子供のような女性)として説明されている。「その若さ、純真さ、そして純粋さによって自らの無意識と直接的で純粋な関係をもつ魅惑的な存在、男性の道案内になることも可能な存在が、『自動記述』という題のもとに示された」(P55)というのである。強烈な印象を残すにもかかわらず、2冊の本にこの女生徒の服装をした女性の名前は示されていない。
 さて、「ミューズ」を禁止用語のリストに登録すべきだろうか。そういう表面的な態度は本質的によい方向へは行かない。大切なのは根っこを変えることである。全ての創作者に対等に向き合うことだ。私自身は可能だと思っている。そうありたい。
 シュルレアリスムは、今なお、多くの示唆を与え続ける豊かな源泉である。もともと、シュルレアリスム1920年代の女性作家を社会や家族の因習から解放したのである。また、シュルレアリスムの女性作家は、一方的に抑圧されたわけではない。中島の引用した野中雅代『レオノーラ・キャリントン』(彩樹社、1997年)が語っているのは、レオノーラとマックス・エルンストの豊かな相互関係である。
「ミューズ」という語は、シュルレアリストの中でも変容している。『シュルセクシュアリティ シュルレアリスムと女たち|1924-47』によれば、アイリーン・エイガーのコラージュ『私のミューズ』(1936年)は「ミューズが外的な原理として存在することをやめ、内面化している。その作品からは自動記述の訓練に熱中することで、無意識のイメージへ歩み寄っている芸術家の姿が見てとれる。ミューズはもはや外的なメタファーではなく積極的で内的な創造原理の一部となった」(P265)というのである。これは例外的なものではあるが、今後も「ミューズ」という語が更新されていく可能性として捉えたい。 (続く)

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中島裕介に応えて(4)

加藤治郎
2019年8月26日 23:50

「詩客」に掲載された「短歌時評alpha(3) 権威主義的な詩客」について述べたい。

1. ミューズ発言について
 シュルレアリスムという文学運動が女性アーティストに与えた影響は、功罪相半ばするものであった。女性アーティストの社会・家庭からの自立の契機となりながらも、一方で「ミューズ」という語に象徴されるように女性を過剰に讃美し、それが芸術における自立の妨げになった。概括すればそうなるが、個々のアーティストの相互関係は多様である。両大戦間の混乱の時代において、多彩なアーティストが相互に影響を与えながら豊かな作品群を遺したことは疑いようもない。
 創作活動において、他者の存在にインスパイアされることはあり得ることだ。しかし、そのメタファーとして「ミューズ」という語を選んだことは、現在の状況において配慮に欠いたものであったと言わざるを得ない。


2.ハラスメントについて
「問題点3~6については究極的には、加藤と、水原や大塚との、ネットを介した直接のハラスメント(後で詳述する)であり、他人が口を出すべき段階に至る前に当事者間で謝罪等のやり取りが行われるべきものである」という指摘について述べる。
 水原さん、大塚さんには、お詫びした。両者とも和解している。大塚さんは「気にすることはないよ」と笑ってくれた。私は、安堵すると同時に心底申し訳ない気持ちになった。不愉快だったことは容易に想像できる。それでも、私に配慮してくれたのである。
 しかし、今回の発言は「加藤の書き振りが、大塚個人の内面や性格に対して断定的に(乱暴に)語るものであったため、同様の目線が加藤から(そして、加藤以外の者からも)向けられるのではないか、という恐怖を、読者・フォロアーに招いた」と中島が指摘するとおり、個人間の問題に止まらない。誰でも読むことができるネット上(Twitter)の発言だったのである。

 全ての人の尊厳を尊重すること。全ての人と対等な関係であること。言うのは容易いが、いついかなるときもそうであることは容易くない。今、私は、失言を繰り返しながらも、自分を変えてゆく途上にある。時間がかかることなのだ。


3. 権力について
「加藤が列挙した事例だけでも、有償無償を問わず、『選をする』という、権力の典型的発露ではないか。政治家や資本家として人に指示できる関係のみを〈権力〉と呼ぶのではなく、『世に出ることばやヒト』を選ぶことで『世に出ないことばやヒト』を区別できるのもまた権力である。
出版社が新人賞を開催し、特定の歌人が協力するというのは、出版社とその歌人たちが新人賞受賞歌人に対して権力を再分配することに他ならない」
という中島の指摘は、歌壇・結社構造の根幹を問いかけるものである。私は、選が権力であるという問題意識は薄かった。36年間、結社に所属し、それを当たり前の仕組みとして受け入れてきた。また、16年間、結社における選者という立場にあり、毎月、選を実施してきた。選をされる/選をする環境の内側に居たのである。選という行為のもつ危うさを深く顧みることはなかった。結社のヒエラルキーが本質的に現代に相応しいものかという危機感を持つべきであった。
 若者の結社離れが言われて久しいが、根本にあるのは、結社のヒエラルキーへのNOではなかったか。作品の発表の場は、ネット上に数多くある。紙媒体への展開もネットプリントという安価で簡便な手段がある。信頼できる仲間と同人誌を発行することは意義のあることだ。結社に所属する必要はないと考える人がいても不思議ではない。
しかし、一方、ネットにアクセスできない人々は数多くいる。同人誌に参加できるのは、ごく少数である。また、伝統的な師弟関係を尊ぶ人もいるのだ。
 一つの苦い出来事があった。同じ短詩型の結社で起こった高浜虚子と杉田久女の件である。久女は「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」という句を残した俳人である。久女にとって、俳句は自己の存在を発揮する詩型だった。久女は、虚子を敬愛し精神を捧げた。「ホトトギス」において虚子は絶対的な存在だった。典型的な権力者と言ってよいだろう。虚子は、久女の才能を認め同人とした。しかし、やがて排除すべき存在となった。虚子は、久女が懇願した句集の刊行を拒絶した。そして、1936年、虚子は何の予告もなく「ホトトギス」同人から久女を除名した。結社においては死刑宣告に等しい。久女は奈落に落とされたのである。師弟関係が絶対となったときこういう悲劇は起こり得る。

 私は、選が最も単純で厳しい批評であることを望む。また、結社が多くの人々へ作品発表の場を提供する組織であることを望む。そして、結社の師弟関係がこの伝統詩を未来に繋げることを望む。そして、不当な力を自分から遠ざけたい。道半ばであるというほかないが、光の差す方向に歩いていきたい。

(了)


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中島裕介に問う(1)結社と選歌

加藤治郎
2019年8月27日 19:29

結社とは何か。選歌とは何か。現代における結社の存在理由とは何か。
小文は、「中島裕介に応えて(4)」の「3.権力について」の延長線上にある。
https://note.mu/jiro57/n/n30895f97efff

中島裕介が短歌結社誌「未来」に「月に一首だけ出す」理由が示されていた。伊舎堂仁のnoteに掲載された「山﨑修平インタビュー 20190705」にある。つまり、山﨑が中島に問いかけたという入れ子式の内容である。
https://note.mu/gegegege_/n/n7b8339a5e802

過去、中島が「未来」の彗星集という選歌欄に所属していた時期(2003年10月~2012年9月号)、選者に月に一首だけ投稿してきた理由は次の通りだという。

                                                                                                  • -

① 選者に選をさせないため
② 寡作であるため
③ 1首に対する読みの緊密度を高めるため
(現在は主に③の継続のため)

                                                                                                  • -

選歌は、結社の根幹である。つまり、①は、結社否定論の実践なのだ。ことによると今世紀最も先鋭な結社否定論ではあるまいか。

中島は、未来短歌会の加藤治郎選歌欄「彗星集」スタート以来の会員である。
1首のみの投稿であれば、選歌しようがないので「選者に選をさせないため」という目的は、完遂できる。
補足すると③は、中島が所属している「ニューアトランティス opera」(2012年10月~)が無選歌欄であることを踏まえている。

「短歌研究」評論賞に結社論でチャレンジした中島である。一家言あるだろう。
まずは「選者に選をさせない」という発言の真意を問いたい。

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#MeToo問題をめぐって

加藤治郎
2019年12月15日 14:27

1)はじめに

11月27日に中島裕介が自身のBlogに掲載した「#MeToo」の文書を読んで、心を痛めている。中島は、私の人格と名誉を傷つけた。なぜ、このような文書が現れたか不可解である。
しかし、今後、個人のプライベートな領域を踏み荒らすようなことがなければ、私は、この件について法的措置を講じるつもりはない。
文学なかんずく詩歌こそが心の奥深くを照らすことができる。


2)今回の「#MeToo」について

クリティカルな内容であるにもかかわらず、全く心当たりのない内容のため、11月27日、私は、急いで中島に連絡をとった。
私は、中島にAが誰か聞いた。もちろん、Aに危害が及ぶ行為はしないと約した。しかし、中島は、情報源の秘匿義務があるとし、Aが誰かを伏せた。
また、中島は、証言の内容は、Aが誰か特定されにくくなるように本人が再構成していると明かした。〈再構成〉とは不透明な言葉である。
私は疑問に思った。匿名の〈再構成〉された内容が公にされたのである。手掛りがなかった。

以上の経緯により私は、11月28日、Twitterで次のような所感を表明した。
「昨夜、中島裕介さんが私の#MeTooの問題をツイートしています。大変驚いています。状況が詳細に記述され、年代も限定されるわけですが、全く心当たりがありません。事実の解明に努めます。」


3)Aさんのことなど

その後、進展があった。Aが誰なのか。信頼できる人からの情報提供で明らかになった。
私は、強い衝撃を受けた。Aさんと私の今までの関係性では、ありえない内容だったからである(Aがだれか分かったので、Aさんと呼ぶ)。

Aさんと私には、相互の信頼と思いやりがあった。
ときには、私は、Aさんの相談にのった。私は、Aさんから育った家庭環境や健康状態を打ち明けられて、何か力になれることはないかと思った。私は、短歌を通じて、心を解放することがAさんにとってよいことだと思った。
しかし、短歌は、Aさんの負担となった。短歌と向き合うことは、自分と向き合うことであり、重荷となったのだろう。Aさんは、締め切りや約束など制約のある物事を一旦手放し、安寧に社会生活を営むことを選び、短歌の世界を去った。

Aさんと私には、思いやりのある交流があった。しかし、Aさんから見た関係性は、別のものだったかもしれない。人の心の奥深くは分からない。そして、Aさんの思いも時の流れとともに変わっていったのかもしれない。私は、それを悲しく思う。
今、私は、Aさんの身を案じている。どこでなにをしているのだろう。私は、Aさんが安らかで健やかな日々を送っていることを祈るのみである。


4)おわりに

「#MeToo」問題が公けになって、約3週間の段階での所感を述べた。
この件では、多くの皆さんにご心配をおかけした。多くの温かいメッセージをいただいた。感謝してもしきれない。
私は、自分の責任と役割を自覚し、健やかで優しい文学の場を未来へ送り届けるよう努める。

以上

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中島裕介に問う(2)

加藤治郎
2019年9月4日 22:54

1)はじめに

現代における結社とは何か。選者とは、選歌とは何か。結社に所属する歌人にとっては大切な問題である。
中島裕介は「月に一首だけ出す」のは「選者に選をさせないため」であると公言した。重要な発言であると考えたので、中島に真意を問いかけた。その応えが、Twitterの中島のアカウントから発信された。2019年8月27日のことである。
私は、結社の現状に必ずしも満足してはいない。それゆえ、中島の「短歌結社の再定義 ――解釈共同体としての短歌結社」に注目し、昨年末に東京で開催された当該論文を巡る検討会に参加した。
しかし、今の私に必要なのは、抽象的な論考ではない。現実の結社における具体的なプランなのだ。中島は、自ら高いリスクを引き受けて〈選〉を否定した。結社の再定義を提案した。創造の前には破壊が必要だ。が、中島は、破壊の前のフェーズにいるのではないか。その先、中島がどういう未来の結社をプランしているのか、それを聞きたいのだ。このテーマにおいて中島と私のベクトルは、同じ方向にあると考えている。

その一方で、バランス・オブ・パワー(balance of power)についての見解には、隔たりがある。権力/対等といった問題だ。これは「詩客」における批判に通じる。


2) 一首投稿 = 選者に選をさせないとは、どういうことか。

中島の回答は、次のとおりだった。

                                                                                                                                          • -

加藤さん、こんばんは。簡単な問いですので、連続ツイートで回答いたします。
2003年に加藤さんから未来短歌会への入会と、彗星集への参加を打診された際に、加藤さんと中島は「年齢や経験の差はあれ、対等のつもりで相対する」ことを合意していたと理解しています。

「選をさせない」は、当然のことながら、加藤さんとの「対等である」という合意を私が実践したにすぎません。
加藤さんは私を最初に誘った「結社は港である」とするメールもお忘れでした。「対等」とする合意をお忘れなだけではないでしょうか。
以上です。

                                                                                                                                                • -

「年齢や経験の差はあれ、対等のつもりで相対する」姿勢は、今現在もそうである。しかし、対等ということの内実に隔たりがあると感じている。

選歌の否定は、リスクの高い行為の実践である。機会損失と言った方がよいかもしれない。次のような機会損失が想定される。

① 作品発表の機会損失

未来短歌会において、会員は、毎月10首投稿できる。その機会を自ら放棄した。具体的には、年間で、9首×12カ月=108首の放棄である。5年間では、540首となる。歌集が1冊出せるボリュームだ。

同時に批評の機会も喪っている。結社誌に作品が掲載されれば、批評される機会がある。歌会でも、より多く批評を受ける機会が生まれるのだ。


② キャリアの機会損失

〈選〉は、歌壇の根幹を成す。〈選〉を否定することは、結社誌、総合誌、新聞、短歌大会等々、歌人としての将来のキャリアを喪うリスクが高い。


③ 結社に所属する歌人の信頼

私のような風変わりな歌人は少数である。おおよそ、歌人は〈選〉を受け入れ、結社の根幹としている。内輪のことであるうちは笑い話で済んでいたが、それが文書化され、公言されたことの影響は大きい。しかも、失言ではなく、確信的な言辞であった。歌人の信頼を喪うリスクが高い。

これだけのリスクがあるのだ。それを引き受けて、いったい何がやりたいのか。なぜ、結社に居るのか。
それに見合うものは、正に、結社の未来の構築ではないのか。それを聞きたいのである。


3) 選と選者の現状

「選をさせない」とは、選者と「対等である」ことを実践するためだと言う。

そもそも〈選〉とは何か。それは最も単純で厳しい批評である。多くの場合、理由を明示せずに作品の掲載を「否」と評価する。
そういうことだが、実際は、良い作品を選ぶということである。高浜虚子や島木赤彦の時代、〈選〉は、重い意味をもった。宗教的な高みにさえあった。現在、〈選〉は、軽くなった。だれでも良い歌を選ぶことができる。それは、インターネットの浸透によることは論を待たない。至る所に歌を選ぶ場がある。

結社の選者の考えも多様化している。結社においても〈選〉は、役割のひとつなのである。「選歌は事務作業だ」と言い切る選者もいる。そういう側面があることは事実だ。

具体的には次のような工程を、毎月、選者である私は行っている。現在、「彗星集」と「ニューアトランティス opera」という2つの欄を担当している。

① 大量の郵便物の整理。毎月締切りの15日前後に約70通の封書が送られてくる。
② 封書の開封と原稿の仕分け。約3時間かかる。原稿に添えられた手紙を読むという慰藉はある。
③ 原稿督促。提出の遅れている会員に連絡する。
④ 選歌。良いと思った歌に〇を付ける。
⑤ 原稿校閲。選んだ歌に、漢字・仮名遣い等の間違いがある場合、会員に問い合わせる。判読しがたい文字も同様である。明らかなミスは、選者の判断で添削することもある。
⑥ 「彗星集」では、誌面の掲載順位を決める。良い歌を詠んだ会員3名は、欄の巻頭に掲載する。特選1名は「未来広場」に推挙する。
⑦ 割付け用紙に、手書きでレイアウトする。2つの欄で割付け用紙は、約10枚必要になる。
⑧ 選歌後記(講評)をタイピング。未来発行所にメールする。
⑨ 原稿の発送準備。レターパックに封入。
⑩ ポストに投函。投函後、〒の配送状況をネットで調べる。間違いなく「未来」の発行所に届いたか確認する。

最近、私は、彗星集とニューアトランティス operaメーリングリストの移行作業を行っている。詳しい工程は省くが、多大な工数を要している。そして、自分の担当する作品欄のメーリングリストの費用は、選者である私が負担している。未来短歌会では、選者に事務経費が支給されているが、ML分を予算化していないので、実質は自己負担になっている。

こういったことを、結社の選者は、無償で行っている。選歌料は、無い。
多くの選者は、家族や勤務先との板挟みで、日々、苦労の連続である。

「権力者」「支配者」と呼ばれても、現実とのGAPが大きいのである。


4) おわりに

中島がプランする結社像に強い関心がある。同人誌でなく、なぜ、結社誌なのか。結社のヒエラルキーを否定して、選者がいなくなると仮定する。選歌欄がなくなることで、会員の満足度は向上するのか。
そのとき、結社誌はどうなるのか。例えば、自選7首になり、均一化した形で誌面に並ぶのか。

中島の考えを聞きたい。

https://note.com/jiro57577/n/nf6bfd9f92323note.com

上記記事は一旦削除された(日時は不明)。その後、別URLで再掲載された(2024/2/6)
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Stargazerに(1)「短歌研究」授賞式の夜

加藤治郎
2023年11月2日 21:53

2023年9月22日、東京は雨模様だった。その日は、短歌研究社の四賞授賞式だった。会場は、講談社である。私は、短歌研究新人賞の選考委員として出席することになっている。
短歌研究社の授賞式だから、同世代の友人が多く集まるだろう。
そこで、私は、パリに旅立つ水原紫苑さんの歓送会を企画した。14時半から護国寺のVILLAGE MARCHEというカフェである。穂村弘をはじめ同世代の友人数名に声をかけた。「紫苑さん、パリいってらっしゃい会」である。会のあと、みんなで歩いて講談社に行く。なんと楽しい晴れやかな姿だろう。
が、紫苑さんは風邪で、会も式も欠席となった。

今日の授賞式で、どうしても「おめでとう」を言いたい受賞者がいた。中島裕介である。彼は、かつて彗星集のメンバーで、後にニューアトランティス operaに移った。しかし、Aさんのことで袂を分かった。
未来短歌会の仲間である。おめでとうの気持ちを伝えてもいいだろう。中島は、私が最も期待している「未来」の後輩である。私が企画した「現代歌人シリーズ」(書肆侃侃房)に彼を推薦した。彼こそが前衛短歌・ニューウェーブを継承する最も先鋭な歌人だからである。その考えは、今も変わらない。

授賞式の会場で中島は遠くに立っていた。私は、ゆっくり、真っ直ぐ、彼に近づいた。「おめでとうございます」と告げた。その後に話すこともおおよそ考えてあった。
中島は言った。「ありがとうございます。ただ、お互いに直接接触を禁止していますね。念のため録音します」。彼はスマホで録音を始めた。私は、驚いた。意味が分からず呆然と立っていた。弁護士に電話しているようだった。なんということだ。現代短歌評論賞受賞者の写真撮影が始まったらしく、彼は遠ざかっていった。遠い国に行くような感じがした。

これが現実なのだ。私は、自分の甘さを思い知った。強いショックを受けた。パーティーに参加する気力を失った。私は、逃げるように会場を後にした。
渋谷のビジネスホテルに向かった。初めての宿泊になる。渋谷はすっかり様変わりしていた。何処が何処だか、わからない。妙に立体的になっている。iPhoneのアプリを頼りにしても、現在地がわからない。歩道橋を何度も上ったり下りたりした。雨が激しくなってきた。完全に迷ったのだ。1時間半ほど、渋谷駅周辺を彷徨った。ずぶ濡れになった。

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Stargazerに(2)謝罪、中島裕介さんに

加藤治郎
2024年1月30日 23:41

暖かい一日でした。昨日1月29日、私の代理人弁護士の事務所を訪問し面談しました。私の弁護士がその結果を貴方の代理人弁護士にFAXしました。ご覧いただきたくよろしくお願いいたします。万が一到着していない場合は、私にご連絡ください。
主旨は、私の弁護士がAさんの案件における代理人を辞任するというものです。昨日までは、双方の代理人弁護士による事前協議の実施中というステータスでした。民事訴訟つまり訴えを起こす前の状態は、法曹界でも決まった呼称はないそうです。
私の弁護士の辞任により、この案件について訴えを起こすプロセスは白紙となりました。期間としては私の弁護士から「御通知」をお送りした2019年12月から昨日までとなります。この間、貴方に多大な負担と不安をもたらしたことをお詫びいたします。申し訳ございませんでした。

貴方の弁護士から私の弁護士を通じて私が確認した最後の文書は、2020年8月21日付のものです。昨日、私の弁護士は、それより後に具体的な解答を要すると判断する文書は受け取っていないと言いました。そのため弁護士から私に連絡はなかったということです。
2020年8月21日の文書に対して当時、私の弁護士は「事態を打開するには、いよいよ訴訟の提起に踏み切らざるをえない状況といえます」と私の判断を求めました。私の判断は「保留」でした。その時点で新型コロナウィルスの感染拡大は収まっておらず、訴訟のための東京・名古屋間の複数回の往復には多大リスクがあるためでした。また、Aさんが証人として出廷する事態はAさんの健康を考慮すると避けたほうがよいと考えました。

私は、相互理解を通じての貴方との和解を心から願っています。
Aさん ― 貴方 ― 代理人弁護士 ― 代理人弁護士 ― 加藤というルートは、コミュニケーションの不全を招いたと反省しています。
そこで、貴方と私の共通の知人であり信頼できる人物であるBさんに仲介をお願いしました。Bさんの立ち会いのもと貴方と私が腹を割って話す。そこから始まると思います。
ご検討いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。

加藤治郎