(細見さんのリプライツリー順にコメントまたはツイートを付ける形にしています)
1.
ひょっとしたら自分には予知能力のようなものがあるのかも。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年7月1日
今日のお昼、久しぶりに、またミューズ問題でカッカしていたら、夕方届いた『未来7月号』で細見晴一が見事に炎上していた。主にミューズ問題で。愉快である。
細見さんの評論/エッセイが、山﨑さんと中島の「特別寄稿」によって批判を受けたことで、加藤治郎さんの「ミューズ」発言と同じ〈炎上〉対象になった、同じカテゴリに入ったのだとしたら、細見さんに都合の良い〈炎上〉観だなあ、と素直に感心します。 https://t.co/zVeZ2hh1LM
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
2.
評論かエッセーかという議論があったが、文字通りクリティーク・エッセーのつもりだ。確かに字数は違うがこだわらなかった。批評的なエッセーがあってもいいでしょうに。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年7月1日
んで、です。細見さんがご自身の文章を「【論】ではない。エッセイだ」と仰るならそれでよいですが、それなら、細見さんのエッセイが「一般論としてジェンダー問題を【論じ】」てすらいないことも問題なんですよ。
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
こういうのを近年では「ご飯論法」といいます。 https://t.co/JXkF2cDaiI
それでいえば、私の文章は「評論」でも「批判」でもありません。ただの「特別寄稿」です。
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
それで皆さんが納得できるのであればそれでよいと思います。
3.
中島は人の文章をちゃんと読む気ないね。こちらが何を書いても自分の都合の良いように書き換える。反論する気も失せる。細見がセクシャルマイノリティの問題を軽んじていることになってる。無茶苦茶だ。そういうふうに持っていきたいんだろうな。細見を人でなしにしたいんだろう、なにがなんでも。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年7月1日
中島は人の文章をちゃんと読む気ないね。こちらが何を書いても自分の都合の良いように書き換える。反論する気も失せる。
とか、適当にエビデンスすら挙げずに言っていれば批判した感じが細見さんやその支持者には得られるのでしょうね。人生がとても楽しそうで、羨ましいです。
そう、細見さんの見解だとこうなるんですよ。ところが、山﨑さんも私も論じたのは、「細見さんの文章は不整合だし、評論の体裁をなしてない」って話なんです。それを読まずにこうやって怒っておられるから、話が進まない。
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
誰かの人格を否定したいのなら、そう言いますって。 https://t.co/Sp5UDSB3ov
4.
ただ短歌とは相性悪いんじゃないか、と書いただけだ。元来マジョリティ文芸の短歌に多くを期待していないだけ。それは川野芽生もジェンダーの対談で言ってた。僕が10年も前にFtMの人の短歌を読んで思ったこと。普通の男女の相聞歌に思えたのだ。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年7月1日
ね、これが「文脈」「コンテクスト」が云々と書いた方の発言ですよ。「~と書いただけ」と仰る「~」の一文だけじゃないなら、その前後との整合性を検討します。自分だけ、どうして都合よく「コンテクスト」をコントロールできるとお思いなんですか… https://t.co/qVumAri7e6
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
5.
他にもジェンダーに関してはもっとひどいこと書いた人いるのに(二人知っている)、特定の歌人だけを攻撃するのはよっぽどその人が個人的に嫌いなんだろう。個人の好き嫌いを勝手に一般化しているに過ぎないんじゃないか。もっと一般論としてジェンダー問題を論じてほしい。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年7月1日
ハラスメントを働いた歌人は何十人と知っていますし、私の眼前で行われた言動については当然批判しています。自分にもかかる火の粉は払います。私が、加藤さんの発言や細見さんの評論を看過しないのは、同じ未来短歌会の会員からです。これが誰かを「人でなし」にしたい態度だとしか思えないのですか? https://t.co/3jcVtsy9Zb
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
6.
山崎修平はまだよかった。細見への批判が新たな議論を呼ぶ敲き台になってる。ただセクシャルマイノリティに関しては誤解があった。あらゆるマイノリティ(マジョリティも含めて)を包括する概念があってもいいでしょうに。それを全体主義とはあまりに考えが浅い。様々な視点があるんだということ。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年7月1日
ただセクシャルマイノリティに関しては誤解があった。あらゆるマイノリティ(マジョリティも含めて)を包括する概念があってもいいでしょうに。それを全体主義とはあまりに考えが浅い。様々な視点があるんだということ。
これは日本語として意味がわかりません。細見さんに誤解があったんでしょうか?それとも他の人?
そして、「包括する概念」として「人」を措定しようとして、しかもそこに情愛の話を絡めるから細見さんの評論(あるいはエッセイ)におけるセクシュアリティやジェンダー理解が浅すぎるんです。そして、「人」なりなんなりの「包括する概念」を措定するご自分の発言が、他のモノを「包括しようとする全体主義的態度かもしれない」と一瞬でも検討されましたか?それを表明も、否定もできていないのに「浅い」と言い切ってしまうからおかしいんですよ。全体主義について国語辞典レベルでもいいので引いたほうがいいですよ。
ぜんたい‐しゅぎ【全体主義】 の解説
1 個に対して全体を優先させる主義。
7.
しかし、ある男性歌人がスケープゴートになったというのは二人とも何も言ってこないな。ここが一番重要なんだけど。オッサンは僕も含めてみんなあんなもんなんだから、ジェンダーに関しては。なのにただ一人だけ虐められたわけで。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年7月1日
「スケープゴート」発言について私は、細見さんの評論中、「些末」かつ「もっともバカバカしい」と思いました。加藤治郎さんのことだろうと思いますが「ただ一人虐められた」という認識はあまりにご都合主義すぎますし、他の案件を顧慮しておられなさすぎる。 https://t.co/G8TTOOs51h
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
8.
自分が正義だと絶対に信じて疑わない勝手な思い込みで一人の人間だけを歌論とかと全く関係のない誹謗中傷で追い詰める。木村花さんと同じ構図だ。ここが一番むかついたわけで。これがあの文章を書いた動機だ。ある特定の人を擁護したかったわけじゃない。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年7月1日
私が挙げた記事群の、誰一人として「私が正義だと絶対に信じて疑わない」人はいないと思いますよ。細見さんが昨年8月に書かれたツイートの通り「中島は違う」と仰るなら、「炎上」というテーマのみで論なりエッセイなりを書かれる方がよかったのではないでしょうか。 https://t.co/h52sUp9CuF
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
ここで「テレビ的演出の犠牲になった木村花さんの、メディア的炎上」と、「加藤治郎の<回顧>という体裁をしたセクハラと『文学とは何か』と問うて回ったパワハラに対する批判」を同一視しておられる。そして、1のようにご自分が「未来」誌上で、たかだか2本批判される文章が載っただけで「炎上」と言い出す。これらを全部、ご自分の書いた文章の「炎上」と同じカテゴリに入れることが妥当だとお考えなのだとしたら、だいぶご都合主義の過ぎた世界観だと思います。
あと、
ある特定の人を擁護したかったわけじゃない。
とのことですが、特定の人を擁護したいわけでもないのに、「スケープゴート」だったと言い出すのはどう見ても齟齬をきたしておりますので、細見さんのお得意なコンテクストに沿ってご説明をいただければ幸いです。
9.
他にもジェンダーに関してはもっとひどいこと書いた人いるのに(二人知っている)、特定の歌人だけを攻撃するのはよっぽどその人が個人的に嫌いなんだろう。個人の好き嫌いを勝手に一般化しているに過ぎないんじゃないか。もっと一般論としてジェンダー問題を論じてほしい。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年7月1日
短歌において必要に応じて「一般論としてジェンダー問題を論じ」ることは大事だと思いますし、そういう論もたくさんありますが、だからといって悪辣な言動を看過してよいことにはなりません。
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
ジョージ・フロイド氏の死を、人種問題に昇華するだけでなく、警官の行為そのものも検証されるべきように。 https://t.co/3jcVtsy9Zb
んで、です。細見さんがご自身の文章を「【論】ではない。エッセイだ」と仰るならそれでよいですが、それなら、細見さんのエッセイが「一般論としてジェンダー問題を【論じ】」てすらいないことも問題なんですよ。
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
こういうのを近年では「ご飯論法」といいます。 https://t.co/JXkF2cDaiI
10.
不当に批判されていることにしたい人がそう思い込む上で都合の悪いところは、私が「そうじゃねえ」って明示的に書いていてもそこを全スルーされるんやでえ。
— 中島裕介 (@yukashima) 2020年7月2日
ですから、「こちらが何を書いても自分の都合の良いように書き換える。反論する気も失せる。」などと言い逃げしてないで、中島が「都合の良いように書き換え」たというエビデンスを挙げてください。2019年8月の対話の際も、細見さんに「エビデンスを」とお願いしたのに、細見さんは何一つ提示できなかったじゃないですか。その<コンテクスト>を踏まえていただきたいものです。
補遺:
①から⑨まで同感です。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2019年8月6日
日本は加害国なんだということを理解しない人があまりに多い。原爆に対してもアメリカに謝れ、っていうんだから。周辺諸国に謝るのが先でしょうか。 https://t.co/PtKaRxSPDF
ちゃんと反省してない以上、加害国だという烙印は消えませんね、未来永劫。そんな甘いもんじゃないですよ。ドイツのようにちゃんと戦後処理をしてれば昔の話として切り離せるでしょうけど。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2019年8月6日
なら、(本人が認めていないハラスメントはともかく)加藤さんがなんにも言明していないパワハラやセクハラについて、ちゃんと反省なり謝罪なり釈明なりさせてください。
短歌研究の貴方の時評も読みました。仰ること解りますが、しかし「ミューズ」というテクストに纏わるコンテクストは様々なはずです。女性を侮蔑するコンテクストだけではないはずです。この現代においても。少なくとも僕の中ではそうです。(続)
— 細見晴一 (@arctictern8) 2019年8月6日
いいえ、それは違います。
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年8月6日
加藤さんが「シュルレアリスムのミューズを参照している」と述べたからこそ、「シュルレアリスムのミューズはすでに批判の対象である」と述べたのです。https://t.co/vQcdEehTUC
そうですか、言ってますね。知りませんでした。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2019年8月6日
そうですか、言ってますね。知りませんでした。
これで、どうして、細見さんの今年4月の評論で「ギリシャの~」なんて話に戻ったのかさっぱり理解できません。こうやって蓄積を無に帰する人物に「中島は人の文章をちゃんと読む気ないね。こちらが何を書いても自分の都合の良いように書き換える。反論する気も失せる。」などと言われたのでは大変不愉快です。
いえ、だから肝心なところは引用しましょうよ。だって短歌テクストに対して「凄みのある美しさ」と言ってるのは明白ですから。それを飛ばしちゃダメでしょ。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2019年8月6日
容姿や他の要素ではなく、「短歌テクストに対して「凄みのある美しさ」と言っているのは明白」だとする論拠をお示しください。
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年8月6日
こちらは、加藤さんの発言が記録されたTwilogです。https://t.co/VvU2u3xeov
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年8月6日
「〇〇〇〇の美しさには
凄みがあった」
「凄みのある美しさが、彼らを魅了した」
「20代の〇〇〇〇は、フランス人形だった」
これらのどこが〈短歌テクストに言及しているのが明白〉なのかお示しください。 pic.twitter.com/ZmKj6RMhvs
一行目は知りませんでした。びっくりです。知らないことがたくさん出てきます。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2019年8月7日
「凄みのある美しさ」は僕個人にとっては短歌テクストのみですが、加藤さんの場合は容姿と短歌テクストの両方じゃないかな、と推察します。その意味で「ミューズ」だったのだと。だからまた別の「ミューズ」ですね。
で、細見さんの観点では、このやり取りですら、細見さんはご自分でエビデンスをなんら示さなかったのですが…。
たとえ容姿のみだとしても、加藤さんは加藤さんのコンテクストで「ミューズ」と言ってるわけで、それを既存のコンテクストに当てはめて終わるのは少々強引ではないでしょうか。もうちょっと考えてあげてもいいと思いますが。それに時代も違います。あの時代の「ミューズ」に特に悪意はないと思います。
— 細見晴一 (@arctictern8) 2019年8月7日
そのコンテクストがない、ということも加藤さんの「ミューズ」発言前後のツイートを読めば明らかだからです。
で、「そうではない」というならと言ったところで、細見さんが示したのは『TKO』での水原紫苑の短歌の評価ですよ。だから、それがツイートとどう関係するのか示すべきなのに、何ら示しはしなかった。別に才能を認めていることと、容姿を褒めることは両立しうる。にも関わらず、TKOの議論を紹介するだけで事足りるかと細見さんは思いこんでいる。同様に、今回の評論においても、議論も擁護が雑なんです(細見さんは加藤さんを擁護する気はないらしいですが、「ある男性歌人がスケープゴートになったというのは二人とも何も言ってこないな。ここが一番重要なんだけど。」というくらいですから、「擁護したかったわけじゃない」が「スケープゴートにされたことが一番重要」だとする理路を示してほしいところです)。細見さんも一度、投稿前に読み返してからツイートされたほうがいいですよ。
エビデンス(史実)は十分に上がっている。それを勉強すれば済むことなのになぜしないのだろう。したくないからだ。 https://t.co/3LKOzi0skv
— 細見晴一 (@arctictern8) 2020年5月29日
細見さんご自身のご発言を、もう一度ご自分に当てはめてお考えいただければ幸いです。
エビデンス(史実)は十分に上がっている。それを勉強すれば済むことなのになぜしないのだろう。したくないからだ。