「動詞派」宣言(仮)

短歌の喩的表現のキィは名詞でも、助詞・助動詞でもない。動詞だ。
高野公彦が何度か述べたように、動詞が3つ以上ある短歌は冗長になりやすい。それは、動詞そのものが喩的なイメージをはらみ、動詞のイメージが散乱すると一首のまとまりが失われてしまうからである。
「brave as a lion」という表現が成立するのは、すべてのライオンが勇猛だからではない。ライオンが狩りをするからであり、「狩る」という動詞に含まれるイメージが「勇猛」であるからだ。この観点から考えれば、より多くの短歌の良さを説明できるようになるはずだ。
私はここに「動詞派」(揶揄的に言うならば「動詞萌え族」)の存在を宣言する。喩の在り様として「動詞喩」の存在を主張する。