ぽっぷこーんじぇるさんによる、現代短歌評論賞の過去10年の受賞作についてのnoteを拝見しました。
note.com
こういう形で拙論にも言及していただけるのはとてもありがたいです。ありがとうございます。
この記事にかこつけて、そして、現代短歌評論賞が短歌研究評論賞へ再編・昇華されることとなったこの機会に、受賞後第一作として用意していた評論「短歌評論はなにを期待された文章か」(仮)の構想と、現代短歌評論賞にまつわるちょっとした思い出話をさせてください。
受賞後第一作として用意していた評論「短歌評論はなにを期待された文章か」(仮)の構想
2023年夏の現代短歌評論賞受賞後の第一作として「短歌評論はなにを期待された文章か ――現代短歌評論賞の攻略」(仮)を構想していました。結局、あれから長文を書く機会がなくて放置しています。いずれ書く機会があればちゃんとした体裁で記しますが、以下しばらく、構想を記します。わたしよりも適切に論を書ける人はいると思いますので、そういう方はじゃんじゃか書いてください!
さて。
現代短歌評論賞、あるいはその後継となる短歌研究評論賞の募集規定には語用のズレがあります。たとえば、現在(2025年3月)公開されている短歌研究評論賞の募集規定を見てみましょう。
www.tankakenkyu.co.jp
■課題
「現代短歌についての評論」
※短歌の歴史の流れを意識し、短歌の現在と未来を新しい視点で捉える意欲的な評論の応募を期待する。■応募規定
課題に則した未発表の論文に限る。
文字数=原則として6000字以上1万2000字以内(表題含む、参考資料一覧は含まず)(中略)
■応募のご注意
課題に即した未発表の論文に限ります。
(強調部・中島)
「評論の応募を期待」しているのに、応募規定としては「論文」を求めています。これは主催の短歌研究社にとって、「論文」と「評論」が(おそらく)ほぼ同一のものを指しているのだろうと推測されます。
他方で、過去の評論賞の選考過程、選考委員の発言を見てみると、落選作に対して「大学院生の論文/レポートみたい」といったコメント(実際の評論になったら正確に引用します)が付されることもありました。評論賞としては「論文」の応募を求めているのに、選考になると「論文」っぽいことが否定的な意見表明になる。これは選考委員の側に、「論文」に対するネガティブなイメージ、そして「論文」とは異なる、何らかの「短歌評論」らしさ・良さのイメージが暗黙裡に共有されている、ということではないでしょうか?
一概に「論文」といっても種類が多く(たとえば↓)、分野によっても期待されている体裁や内容が異なります。
wrc.sfc.keio.ac.jp
www.geoenv.tsukuba.ac.jp
分野の違い(例えば、自然科学系と人文・社会科学系、実験系と観測系)によって考え方が異なることは知っておくべきである。
では、短歌における「批評」「評論」「論文」というのはどういうもので、どういう分野だと選考委員に想定されているらしいのか、どういう書き方にすると選考委員の期待にかなうのかーーを記述することは、評論賞応募者に限らず、短歌評論を書く人にとって有益ではないか?というのがこの文章(現段階では構想)の意図するところです。
……と、こんなところですかね。ご興味があれば正式なご依頼お待ちしております!
ぽっぷこーんじぇるさんの文章にひきつけられての思い出と今後(箇条書き)
- 現代短歌評論賞は、若いころからずっと気になっていたけれど、この賞が望んでいる書き方はできないなーと思っていた
- 2018年の応募作の落選は自分にとって予想通りではあったけれど、残念ではあった
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- 10冊限定の冊子版をご覧になった方はご存じなのだけれど、本文が賞の規定枚数ギリギリ、参考文献がその倍以上の分量(公開済みのブログ記事の別表に対してそれぞれ引用文(非公開)をつけている)というもの。今も、こっちのほうが出来がいいと思ってます
- 今後:短歌における批評と評論ということについては、短歌分野・短歌界隈のひとりとしてではなく、大学院生としての研究の一環で扱う予定
- 批評については、難波優輝さんの記事が参考になります
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- 難波さんとコスモスの三沢左右さんと私が話した動画は公開しております!(宣伝)