短歌研究社四賞授賞式の、書きたいほうの話と書きたくなかったほうの話

書きたいほう

昨日9月22日、朝から息子が通う保育園の親子遠足に行っていました。遠足から帰宅したら、息子とシャワーをさっと浴びて、着替えて……とは順調に行きませんでした。前日までは息子も授賞式を楽しみにしてくれていたのですが、遠足で疲れたのか「パパと行きたくない、家にいたい、着替えたくない」と訴えていました。息子に申し訳ないな、と思いつつ、今から誰かに預かってもらうわけにもいかないので、なだめて、ブラジルの友人にもらったチョコを食べてもらって、無理やり着替えさせえて、タクシーに乗ってもらって授賞式の会場へ向かいました。
息子は高いビルの階数を外から数えるのが好きで、講談社の道向い側でタクシーを降りて「あれが会場なんだよ」って伝えるとビルの階数を一つずつ数えていました。数えたとおりの26階の会場に到着したのは、受賞者・選考委員の指定集合時間から30分遅れてのことでした。

元々遠足で疲れていた息子は着いてすぐから帰りたがっていました。ほかの受賞者の方々にもなかなかご挨拶できないまま、一般ご来場者の最後列に陣取って、iPadでゲームをさせたり、前日に鞄に突っ込んでいた「てれびくん」(よりにもよって小学館刊)を読ませたりしていました。周囲の方にはご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。授賞式がはじまってからも、会場には人がゆっくりと増えてゆき、懐かしい顔ぶれだけでなく、初めましての方も多くみられたのもうれしく思いました。
18時半ごろに現代短歌評論賞の番が回ってきて、わたしもスピーチをさせてもらいました。事前に作っていた原稿はこういうものでした。

この度は栄えある第四一回現代短歌評論賞を賜ることとなり誠にありがとうございます。前回応募時に最も意識していた菱川善夫と、わたしと同じ出身地である上田三四二と同じ論題に挑戦できたことを幸運に思います。
生成AIという直近のトピックを主題とする拙論を選んでくださった選考委員のご決断に深く感謝いたします。今回の受賞は家族と、拙論を形成する、ここにいらっしゃる坂井修一さんと、ここにいらっしゃらない篠弘さん、そして、わたしの学生としての指導教官である岡田猛先生や研究室の方々なくしてはありえないものでした。また、様々な数多くのハラスメントが起こるなかでなお私と付き合ってくださる多くの仲間の、温かい友情にもあらためて御礼申し上げます。
高校生で短歌をはじめて二八年になりますが、今回現代短歌評論賞をいただいたことで、ようやくスタート地点に立てた思いです。私の短歌作品はまだまだ拙いものだと思います。今後、論作ともに伸びしろがあるものと受け止め、〈二十一世紀の前衛短歌〉の実現に向けてさらに研鑽を重ねてまいりたいと思います。また、短歌におけるハラスメントを少しでも減らし、少しでも多くの人が安心して短歌を楽しみ、学べるよう微力ながらも力を尽くしたいと思います。
今後も、忌憚のないご批評・ご批判を賜りたくよろしくお願いいたします。改めて、現代短歌評論賞を与えてくださり誠にありがとうございました。

その後、祝賀会で色んな方とお話しさせてもらい(今になって、あの人とご挨拶しそびれたな、と思う方がとても多いのですが……)、未来短歌会から花束をいただき、二次会にもお邪魔しておりました。
自分が賞や花束をいただいて、また多くの歌友と時間をともにできるということは本当に得難い幸せでした。ご一緒いただいたみなさま、ありがとうございました!

(花瓶が自宅にないので、コップに生けて飾ります!)

書きたくないほう

(わたしも積極的に書きたいことではないので、読みたくない方のために切り分けておきます)
授賞式の終了直後に、各賞の受賞者の記念写真撮影が始まりました。現代短歌評論賞の番が回ってくるのを待っている間に、加藤治郎氏が近づいて来るのが見えたので避けていました。理由はこの記事に書いた内容証明郵便を受け取っていたからです。
yukashima.hatenablog.com
こちらとしても、代理人弁護士を立てざるを得ず、「こちらとしても直接の接触をご遠慮いただきたい。加藤氏代理人弁護士による指摘は当たらないので金銭は支払わない」旨を回答していました。その後、代理人弁護士間でのやり取りがありましたが、先方からの回答が途絶し、私の代理人弁護士による督促に対しても反応が得られず、現在に至ります。内容証明郵便の時効は3年ですが、最後の督促から現在に至るまで3年が経過していません。よって、相互の内容証明郵便における「直接接触禁止」の記述は有効であるものと思います。
また、そもそも文書の形で当方に金銭を要求されたのですから、加藤氏代理人弁護士から「要求を撤回する」といった文書の形で和解を打診されない限り、残念ながら、和解にも直接接触禁止の終結にも至らないのです。

話を昨日の授賞式会場に戻します。会場で別の方からお祝いの言葉を頂戴したのち、ニコニコした加藤氏がすうっと近づいてきて「おめでとうございます」と述べてこられました。「ありがとうございます。ただ、お互いに直接接触を禁止していますよね?念のため録音をしますね」と宣言し、スマートフォンで録音を始めました。そして、改めて「内容証明郵便により『直接接触をしないように』と言い出されたのは加藤さんですが、今回お話しに来られたのはどういうことですか?」と申し上げたところで、現代短歌評論賞受賞者の写真撮影が始まり、私はその場を離れました。昨日はその後一度も接触していません。

2019年2月の「ミューズ」騒動からずっと今まで、本当にしんどいです。しんどさに慣れてしまったところもありますが、2019年5月の文学フリマ東京のとき、入口前で出会った染野太朗さんが、私の顔を見てギョッとして「苦虫を嚙み潰したような顔してどうしたんですか?!」と仰った、その染野さんの表情が忘れられません。「苦虫を嚙み潰したよう」ってリアルでなかなか聞きません。たぶん、ミューズ騒動から4年半あまり、ずっとそんな表情をしているのだと思います。
昨日も、加藤さんに話しかけられてからずっと、非常につらい思いでおりました。祝賀会でも二次会でもなるべく表情に出さないように努めたつもりですが、同席された方やお話しさせてもらった方に漏れ伝わってしまっていたら本当にごめんなさい。受賞者の方をお祝いしたい気持ちも、私を祝ってくださる方への感謝も、せんぶ本当なんです。でも、この4年半、特に内容証明郵便を受け取ってからの4年弱の苦しみを、孤独を、したくもなかったたたかいを、加藤氏にさらに蔑ろにされたように思われて。帰宅後、速やかに昨夜の記事を掲出し、ツイートするに至りました。

・2019年12月15日時点のnoteで「法的措置は講じるつもりはない」と仰りつつ、裏で12月23日になって多額の金銭を法的措置として求めることの根拠はなんでしょうか?
https://note.com/jiro57/n/n09bf77438f17
・「Aさんと私には、思いやりのある交流があった。」と実質的に記事内で事実を認めつつ、請求をされた論拠はなんでしょうか?
・こちらは弁護士を通じて、貴殿のA氏へのセクハラに関する私の告発に対する公共性・公益性・真実性をすべて詳らかにしたのち、弁護士間の文書の通信が途絶えました。文筆家として極めて不誠実な態度だと考えますがいかがでしょうか?
・これらの事実があるにも関わらず、9月22日の短歌研究社の授賞式にて直接話しかけに来られた論拠はなんでしょうか?

すべてX(旧Twitter)上で加藤さんから詳らかにされることを希望いたします

つらい気持ちは私の限りで終わらせたかったし、ニコニコと話しかけてくる加藤さんに、わたしもニコニコと応じられる世界であればよかったな、と心から思います。でもそうはなりませんでした。本当に残念ですが、公の場で歌人・文筆家である加藤さんが説明責任を果たしてくださることを改めて希望いたします。ここまでが書きたくなかったほうの話です