「IQが多少高い」のは「IQが多少高い」という以外の意味を(たぶん)もたない

いまの私は心理学を学ぶ博士課程の学生でもある。心理学を学びはじめてもうすぐ1年が経過しようとしている。「マンガでわかる統計学*1やいろんな統計学の入門書を読んではみるが、自分の研究にどう活かせるのか/活かさないといけないのかがピンと来ていない。自分のために自分でやってみないと何も身につかない性分なのだと思う。

それでも、この春には調査や実験をしはじめないと1本目の論文が書けない。1本目の論文を書き始めないと指導教官の退官に間に合わない。どんなに拙くても、いまできることを考えないといけない。とはいえ、学部生や修士課程で心理学を学んでいない私は、調査や実験を受けたことがない。論文を読んで「ふむふむ、こういうことを聞いたのか~それを分析するとこんなことがいえるのか~~」と思っても、それが参加者にとってはどれくらいのボリュームを感じる内容なのかが分からない。

そこで思った。心理学のテストをちゃんと受けてみよう、と。
次に「有名なのはIQテストだな」と思ったので、近場で受けられるIQテストをすぐに申し込んだ。

ウェクスラー式知能検査、というらしい。

  • WAIS:大人向け
  • WISC:子供(5~16歳)向け

で、それぞれの最新バージョンがWAIS-Ⅳ、WISC-Ⅳ。

高IQの人が入会できる団体MENSA(メンサ)では、自ら入会テストを実施しているほか、WAIS-Ⅳ、WISC-Ⅳ、ひとつ前バージョンのWAIS-Ⅲ、WISC-Ⅲの証明書を受け付ける形でも入会審査を行っているようだ。
mensa.jp
(私が「受けてみよう」と思った時点で、メンサ・ジャパンは入会テストを一時停止していたので外部のテストを申し込んだ。)

ネット上に転がっている〈IQテスト〉(メンサ・ジャパンのサイトでも注意喚起しているようにあまり使うべきではないようだが)を受けてみると割と高水準が取れるので、「あわよくばMENSA……」という思いもあるにはあった。それ以上に、自分のIQを知ってみたいという単純な好奇心があった。それと、自分の人生を振り返ったとき、「頭悪くてダメ」とも「頭良すぎてダメ」とも言われたことが多く(結局、社会とうまくかみ合わないのだから「ダメ」なことには変わらないのけれども)、「ダメ」の理由を知れるかもしれない、と思った。

んで、一度医師にかかり、IQテストに関心があることを伝え、2月19日の夕方にWAIS-Ⅳを受けることになった。頭の中ではレイザーラモンHGが「ワイス……フォー!」って言っていた。


最初の面談では医師から「当日はゆっくり寝るように」と言われていたのに、受検前夜はなかなか寝付けず、当日朝は子供に叩き起こされたので睡眠時間は4時間半。眠気でモヤがかかったような頭のまま、2時間半の検査をみっちり受けた。医師や心理士から明言されてはいないのだが、たぶん守秘義務があると思うのでテストの詳細は記さない。

受検からちょうど2週間後の今日、3月5日に結果を受け取った。割と高い数値が記してあった。うれしくもあり、安心もした。が、モヤモヤもしたし、かなしくもなった。

そこで、この心境を記したくなったわけです(本題)。

IQが高い、ということがわかった。ふむふむ、よかったね!――それで???
今から急に仕事ができるようにはならない。ミスが減るわけでもない。勉強ができるようにもならない。短歌の評価が上がるわけでもない。子供の頃に「ダメな子」と言われつづけたことは変わらない。高校で最下位取った事実も、全国模試の英語で偏差値28を取ったことも変わらない。大学受験に失敗し続けたことも、修士課程で全然敵わなかったことも。
むしろ「へー、IQ高いのにこの程度なんだ!」っていろんな場面で言われるだろうな。「IQ高いのに短歌下手なんですね」ともいわれるだろうし「IQ高いから、中島の短歌はよくわかんないんだよなー」ともいわれるんだろうな。

私よりもIQが高い人はまだまだたくさんいるし、IQなんか無関係に活躍している人もたくさんいる。まだまだ何も敵わない。「ダメ」の理由は少しわかったような気がするけど、「ダメ」なこと自体はなにもかわらない。

うん、そういうことを想像しながら、それでも昨日の夜に書き散らしたこと(先ほど公開しました)と、今日受け取った結果と、そのときの感覚は記しておかないと、残り40年もなさそうな自分の人生を前に進められない気がした。
yukashima.hatenablog.com