神村恵について引き続き。

後日追記(同年3月25日)。あれから、色々ネットで出ている評論を見て回ってみたけれど、やっぱり神村恵の「山脈」にそれほどの特殊性を見出すことが出来ない。
というのも、あれって、正直レプリカントで僕らがやってたことと大差は無いんじゃないかって思ってしまうのです。


もちろん、身体のレベルで比較したら、幼少時から踊ってきた神村さんと舞台から離れて3年が経つ私とでは格段の差があるわけだけれど、「空間性」だとか「フォーメーション」なんて、舞台芸術をやる以上至極当然のことじゃないの?その空間性を「5人で即興的に生成させる過程」とか「その即興法則の顕現」なんて、私がレプリカントに入ってすぐの時からやってない?その上で、「ミニマルな手法での痙攣する身体の追求」「その追及過程から生成する個別性」とか「舞台芸術としてのエンターテイメント」をやってるものだと思って舞台に立ってました。って、それらはレプリカントについて形容されるところの「80年代っぽい」ってことじゃないの?神村恵の作品とレプリカントの作品の違いについて、誰か分かる人がいたら教えてください。個人的にはただただそこにどこにテーマの焦点を持ってくるか(神村作品は身体そのものに、レプリカントは身体から挑発/生成するセクシャルな視線)、そしてパフォーマー自身の「ダンサーとしての」力量によるものだと思うのですが・・・。結局それが作品として成立するのって、「<踊る>身体の特権性」の上に成り立ってるもんじゃないの?

なんかどこか納得行かないのです。


なら、「じゃあ、自分でやってみろ」と思わないでは無いのですが。はぁ。


そういえば大介君や松森君、梅ちゃんとか元気かなあ。余裕が出てきたらメールしたいと思う。