「(角川)短歌年鑑 平成30年版」における座談会「AIは短歌を詠むか」で使用した資料について

「(角川)短歌年鑑 平成30年版」座談会において、当日配布された資料から一部の加除を行ったものを公開する。

短歌年鑑 平成30年版 (カドカワムック)

短歌年鑑 平成30年版 (カドカワムック)

1.「人工知能」とはなにか*1

(1)「強いAI」「弱いAI」:人間と同様に考えるAIを想定するか、短歌を作れるだけのAIを想定するか

(2)短歌専用AI(弱いAI)は既にできていると見なすか、否か:
ア 星野しずる
イ 偶然短歌
ウ 石川啄木の未完成短歌の補完及び評価(論文)
【参考】Siri(iPhoneの音声ガイダンスシステム)は俳句を作ることができるが、Siriの俳句を俳句と認めることができるか

(3)短歌専用AIがまだできていない(未完成/不十分)であると見なすならば、今後どのような要素を組み込む必要があるか:
AIが作る場合であれ、ヒトが作る場合であれ、短歌にはどういう要素が必要か

(4)「強いAI」は短歌を詠む必然性を持つか
(人間と同様の知能を持つAIが、短歌を必要とするか。人から「短歌を作れ」と命令されない限り短歌を作らないなら、それは短歌を「(自発的に)詠む」ことになるのか?)

2.「短歌を詠む」とはなにか

(1)人であれAIであれ、「短歌を詠む」場合に「5.7.5.7.7の31音に、日本語を大まかに当てはめる」という以外に、どのような観点が求められているのか

(2)「短歌を詠む」とは「短歌を作る」とはどう違うのか
(「詠む」という言葉には「歌の背景や詠われた内容に対する作者自身の意味づけを元に短歌を作る」という要素が含意されているならば、AIはことばの意味を理解できている必要があるか?(人工知能研究における記号接地問題))

3.「人工知能は短歌を詠む」と判断する読者とはなにか

(1)岡井隆「短歌における〈私性〉というのは、作品の背後に一人の人の――そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。」(『現代短歌入門』、1997、講談社学術文庫(1969、大和書房)、P.236)は、そもそもどのように解釈するのが”正しい”のか。

(2)(1)の正しい解釈が存在する場合、人間の読者はその解釈に従って誰かの歌に「ただ一人だけの人の顔」を見出すことができるのか:
そもそも「人間の読者は短歌の意味を理解できている」といえるのか
東京大学合格を目指した東ロボくんの、開発・研究の一環で行われた調査により、平均的な中学生・高校生の文章読解力が高くないと考えられる。

(3)(2)で「見出せる」と考える場合、AIが自動的に生成した短歌とヒトが作った短歌を、ヒトは本当に区別できるのか
ア 「中国語の部屋」問題
中国語の部屋 - Wikipedia
イ AI短歌と、人間が感情を排して作った短歌との差
(例:吉田恭大の連作「ト」(歌誌「Wintermarkt」(2016)所収)など、客観描写に徹底した作品と、偶然短歌などAI短歌との、有意な差をどこに発見できるか。)
ウ 「旅行詠、社会詠、ゲーム内短歌はAIにとって作りやすいのではないか」(中島の仮説)
エ AI短歌と中島の「予測変換機能のインプロヴィゼーション」(『oval/untitleds』(2013))との差

*1:当日配布資料外の追記。NHKの番組「人間ってナンだ? 超AI入門」は、本座談会の導入として最適だと考える。特に第1回は、再放送やNHKオンデマンド等での公開があればご覧になることをオススメしたい。www.nhk.or.jp