KAZAHANAとFrame

先週日曜日、勅使河原三郎の「KAZAHANA」観覧。

確かにかっこいいのだ。とにかくかっこいいのだ。

しかし、それだけだった。

好意的に(且つ恐らく幾分の曲解を交えることになっているのだろうが)

解釈すれば、「大きな物語」に対して、「しなやかに」「たおやかに」(笑)

(というより、この語が笑えてしまうことは哀しい)

抗う(というより、受け流す)「小さな物語」の姿なのだ。

とはいえ、我々はこれを基盤に何を語れるというのだろうか。

#幾分、誤解を与えてしまったようなので3月14日追記。

 あの作品を元に新たに何も語る必要を感じない、

 その相応に、高くない評価を私が持った、ということ。



12日土曜日、丹野賢一の「027Frame」を見に行く。府中市は遠かった。

異世界からの来訪者。破壊者。振動の開始者。

受け流すのではなく、衝動を、対象が壊れなくたって、叩き付けること。

それ故に、この一回限りの、美術館のエントランスで行われたパフォーマンスが

好ましく感じられたのだ。

丹野さんがこのサイトを何度かご覧になったとのこと。

とても嬉しくて、先輩(きっと運動部)を遠くから見つめる乙女の気持ちであった。