「二つのゼロ年代」解釈にむけての試論  ――リアリズム、、*31

0.本稿について

 二〇一二年八月の「未来」全国大会で、「二つのゼロ年代」と題したシンポジウムが開催される予定であるが、ここでは一九〇〇年から一九〇九年までの「二十世紀ゼロ年代」と、二〇〇〇年から二〇〇九年前の「二十一世紀ゼロ年代」の、「二つのゼロ年代」を同時に検証・比較することになる*1。また、当日のシンポジウムに登壇する四名のパネリストには事前に「未来」五月号から八月号までの誌上で「二つのゼロ年代」にまつわるリレー形式で評論の連載にご登場いただき、シンポジウム開催前に――大会に参加できない人を含め――知識の共有と議論の深化を図る。
 個別の歌人論や二つの時代の比較はシンポジウム及び事前のリレー評論に譲るとして、本稿では二十一世紀ゼロ年代における文学観――具体的に言えば自然主義的リアリズム(写生)の地位の相対的低下――に触れつつ、それらを<私性>の議論に還元してみたい。

1.自然主義的リアリズムの相対的地位低下

 社会倫理学者の稲葉振一郎は『モダンのクールダウン』(NTT出版、二〇〇六)の中で、近代文学と、SFやファンタジーといったフィクションを対比させつつ、作家・評論家である大塚英志の『キャラクター小説の作り方』(講談社現代新書、二〇〇三)を参照し、以下のように指摘している。

大塚が言いたいのは、日本近代文学の描いた「現実」、典型的には私小説的な「私」とはそれ自体一個の「お約束」であったのではないか(中略)ということです。しかし同様のことは程度の差はあれ、日本以外の近代文学全体についても言えるのではないか――と疑ってみるのは甲斐のないことでしょうか?*2(P.48)

 ここでいう「日本以外の近代文学全体」や、後に引用する「リアリズム文学」について稲葉は主に小説を想定しているが、我々はこれを補助線に、近代における短歌を考えてみてもよいだろう。
そのとき、近代文学に限らず、小説や短歌における作品が作られ、読者のもとに届く際、

ここで重要なことはまず第一には、「作品世界が作り手と受け手のあいだでたやすく共有されること」です。そのためには、作り手と受け手とのあいだで、作品の授受に先立ってあらかじめかなりの程度の前提が共有されることが望ましいわけです。そしてかなりの程度共有されていることが確実な前提こそが、ここで言う「現実世界」です。同じ言語、似通った技術やライフスタイルを現実に共有している人々は、相当程度の知識、考え方、価値観、総じて「常識」と呼ばれるものをまさに「常識」として共有しているわけです。それは「お約束」とは意識されない、される必要のない「お約束」です。(中略)モダニズムの前衛文学がいらだち、破壊しようとした近代リアリズム文学の「お約束」とは、まさにこの「『お約束』とは意識されない、される必要のない『お約束』」としての「現実世界」の拘束であったわけです。 *3(P.56〜57)

通常、リアリズム作品は、まさにこの現実世界を舞台としている、と思われがちですが、そう断言してしまうことは実は非常に危険です。(中略)もし「現実世界」という言葉をきわめて厳密に取るならば、たとえまったく地に足のついた糞(ママ)リアリズム小説であっても、その舞台、作品世界は現実世界そのものではありません。(P.79)

と、現実に作者が経験してきた「現実世界」と、作品を通じて表現する「作品世界」とは全くのイコールではないこと、そして、「作品世界=現実世界」と考えるのはあくまで近代的「お約束」でしかなかったことが繰り返し主張される。
 もちろん「お約束」としてのリアリズムもまた、必要があって生みだされたものであり、メリットも当然あった。

モダニズム芸術は近代リアリズムをこそ抑圧的な「お約束」と感じ、そこからの開放を目指していたわけですが、近代リアリズムもまた〔「伝統」という名の下、ある限られた共同体の中で共有・拘束されていた〕「お約束」からの解放を目指すものだった、という大塚の指摘は、よく考えると決して新しいものではないけれど、非常に貴重です。(P.44。〔〕内は中島)

リアリズムにおける作品世界は、厳密な意味での現実世界それ自体ではもちろんないが、現実存在としての作り手と受け手が、ともに生きる現実世界について、共有しているイメージ、いわば「共通認識common knowledge」の中に位置している、とは言えましょう。(中略)最大限大きくとって考えてみるならば、誰もが現実世界の中で生きている以上、この「共通認識」=常識を共有している、と期待してかまわないだろう、ということです。(P.80〜81。)

 限られた範囲にのみ「お約束」が共有された「伝統」の時代とは異なり、リアリズムが基盤とする、誰もが生きている「現実世界」は「お約束」としての有効範囲が広い――その作品を読んで理解できる人が相当多い*4。この「伝統からの脱却と近代リアリズムへの以降」という図式は十九世紀末にはじまる短歌革新運動*5にみられる、伝統的な和歌から近代短歌への変貌にあてはめられよう。
 しかし、多様なフィクションが創造され享受されてきた現代において、近代的・自然主義的リアリズムを無条件に信じられないという見解は、近年の批評家にも共通して見受けられるものである。

2.『現代短歌入門』

 この稲葉の問題認識に関して、実は岡井隆が既に『現代短歌入門』(一九九七、講談社学術文庫)、特に第十一章「私文学としての短歌」で指摘している。

作者の、ある時ある場所での覚官的印象の一部をもって、作者の心情なり思想なりを表わすものとするという約束、これが、短歌の前提であり、三十一拍をとりまく状況です。(P.59。)

写実派――たとえばアララギの場合(もっと正確には根岸短歌会系と呼ぶべきかもしれませんが)、「事実に即する」という約束が生まれました。(P.212。)

 ここで岡井もまた(稲葉と符合するように)「写実」つまり「リアリズム」があくまでひとつの「約束」であると指摘していることが重要である。その上で、リアリズムと戦後歌壇について岡井は以下のように述べる。

短歌の本質、あるいは正統的な短歌の作風を云々するとき、かならず問題になるのが<私(わたくし)性>ということです。短歌は所詮わたくし(すなわち作者自身)の感情の表白である。ところで、それは、作者の体験した事実を忠実に嘘いつわりなく模写することによって成り立つ「感情の表白」であるところにその特質がある。(中略)上記のような考え方は、おそらく現代の大多数の歌人が暗黙のうちに認め受け入れている短歌観であろうことを、わたしは疑いません。(P.201)

 同書の元となった連載は一九六一〜三年、奇しくも「二つのゼロ年代」のほぼ中間時点に掲載されたものだが、この戦後歌壇に対する分析は半世紀が経った現在も有効であろう。
 岡井は<私性>について「作者の体験した事実を忠実に嘘いつわりなく模写することによって成り立つ『感情の表白』」であると考えるのは、あくまで「現代の大多数の歌人が暗黙のうちに認め受け入れている短歌観」であって、本質そのものではないことを示唆している。<私性>について、同書中で岡井が提示した一節を引こう。

短歌における<私性>というのは、作品の背後に一人の人の――そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです。(P.236)

 稲葉の言い方を借りれば、「現実世界」とどの程度異なるのか分からない「作品世界」から、或る一人――「それが即作者である場合もそうでない場合もある」――の顔、いわばキャラクターを読者が想起する。それが可能になるよう、作者が作品に配慮しなければならないと岡井はいうのである。

3.<私性>と<物語>

 前節で「ただ一人だけの人の顔」を敢えて「キャラクター」という語にまとめたが、マンガ評論家である伊藤剛が著書『テヅカ・イズ・デッド』(二〇〇五、NTT出版)で整理した「キャラクター」という概念と、一定の共通があると思われるからだ。
 伊藤は同書の中で「キャラ」と「キャラクター」という語を以下のように分類・再定義している。

あらためて、「キャラ」を定義するとすれば、次のようになる。『多くの場合、比較的簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指しされることによって(あるいは、それを期待させることによって)、「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの』。他方、「キャラクター」とは、『「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」を持った「身体」の表象として読むことができ、テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるもの』と定義できる。(前掲書P95。)

 この記述が分かりにくい方は「キャラ」の例として、地方自治体などで作られている、その地方独特のモノに目鼻が付いたモノ――例えば平城遷都千三百年祭のマスコット「せんとくん」を、「キャラクター」としてミッキーマウスやキティちゃんを想像してほしい。せんとくんの年齢や家族構成などは現時点で公式に設定されていないが、ミッキーマウスは生年が公式のテクストとして明らかにされていて、どんな友人や恋人がいるのかという「『人生』や『生活』」が付与されている*6
 伊藤の整理によると「キャラ」は「存在感を感じさせるもの」であり、その「キャラ」に「『人生』や『生活』を想像させるもの」――いわば<物語>が付加されたものが「キャラクター」である。
 マンガにおける「比較的簡単な線画」が短歌における三十一音の言葉に相当するものと想定するとき、<私性>は、作品を通じて見える「ただ一人だけの人の顔」は、「キャラ」なのか「キャラクター」なのか?岡井が表現としての必須要件として挙げた「そういう一人の人物を予想すること」は「『人格・のようなもの』としての存在感を感じさせるもの」なのか、「『人生』や『生活』を想像させる」<物語>なのか?
 私はこの問いに対して「現在、一首を作品と捉えるならば、<私性>はあくまで『キャラ』であり、連作を作品と捉えるならば『キャラクター』となる」と答えよう。その理由は時代の変化、つまり稲葉らが繰り返したように、自然主義的リアリズムの「お約束」が「お約束」でしかなかったことが明らかになった現在、一首だけから「人生」や「生活」といった<物語>を読者レベルで補強できなくなったのである*7

4.おわりに ――二十一世紀ゼロ年代において

「キャラクター」としての<物語>には本来的に複数の属性――「アイデンティティ」や「タグ」などと言い換えてもよい――が付くものである。
 岡井の近著『静かな生活 短歌日記2010』(ふらんす堂、2011)を例に挙げてもいい。岡井は当然歌人であるが、夫でもあり父でもあり、どのような本を読み、どのようなフレーズに感銘を受けたかということが、当人を知らずともこの一冊を通じて窺える。ただ、ある一首で夫として振舞ったからといって、別の一首で別様に振舞ってはいけないわけではない。むしろ、複数の歌を通じて多様な主題を扱い振舞うほうが、多くの<物語>を孕む、より魅力的な「キャラクター」として生き生きと立ち上がるのではないか。
 二十一世紀ゼロ年代を扱うにあたり、こう考える次第である*8

*1:ゼロ年代」という語は二〇〇四〜五年ごろから新聞や雑誌等で使われ始め、宇野常寛が二〇〇七年に早川書房SFマガジン』(二〇〇七年七月号から二〇〇八年六月号)で「ゼロ年代の想像力――「失われた10年」の向こう側」を連載、及び二〇〇八年に同連載をまとめた『ゼロ年代の想像力』(早川書房。本稿では二〇一一年のハヤカワ文庫版に基づき引用頁を指示する)を刊行したことにより定着したものと考えてよい。
同書における「ゼロ年代」という用語――時代区分は一九九〇年代後半以後の
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  「引きこもり」気分=社会的自己実現に拠らない承認への渇望(P.19)
  「がんばっても、意味がない世の中」という世界観(P.21)
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から、
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  二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロ小泉純一郎による一連のネオリベラリズム的な「構造改革」路線、それに伴う「格差社会」意識の浸透などによって、九〇年代後半のように「引きこもって」いると殺されてしまう(生き残れない)という、ある種の「サヴァイヴ感」とも言うべき感覚が社会に広く共有されはじめた(P.21〜22)
  世の中が「正しい価値」や「生きる意味」を示してくれないのは当たり前のこと=「前提」であり、そんな「前提」にいじけて引きこもっていたら生き残れない――だから「現代の想像力」は生きていくために、まず自分で考え、行動するという態度を選択する。たとえ「間違って」「他人を傷つけても」何らかの立場を選択しなければならない――そこでは究極的には無根拠であることは織り込み済みで「あえて」特定の価値を選択する、という決断が行われている(P.25〜26)
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という段階・状況へ移行したとする宇野の分析、つまり「九〇年代の「引きこもり」とゼロ年代の「決断主義」の対置」(P.28)を明確化するために設けられたものである。「ゼロ年代」というタームを用いる以上、「少なくとも宇野はこのように定義していた」と、どこかで予め説明しておかなくてはならないだろう。
ただし、ゼロ年代に登場した歌人・作品を、宇野の定義に基づいてのみ説明することは安直であるし、そうすることで議論すべき対象範囲を無闇に狭くしてしまう恐れもある。また、シンポジウム及びリレー評論で扱うもう一つの「ゼロ年代」も、宇野の定義に引きずられて論じられるべきではない(ある種の時代や世相の類似から宇野の定義を流用できる可能性を否定するものではないが)。よって、本稿では「ゼロ年代」を単純な時代区分――一九〇〇年から一九〇九年までの「二十世紀ゼロ年代」と、二〇〇〇年から二〇〇九年前の「二十一世紀ゼロ年代」――として扱う。以降、リレー評論やシンポジウムで、宇野の言う「決断主義ゼロ年代」について言及する必要がある場合にはその旨が論者から指摘されるだろう。
他方、本稿本文と前後するが、『ゼロ年代の想像力』の中でも「物語」という語がキーワードとして登場する。しかし、同書では「小説、映画、漫画、テレビドラマ、アニメーションなどの「物語」」(P.13)と、フランスの哲学者・リオタールが指摘した「小さな物語」の二通りを乱用・短絡しているため、本稿本文では同書を直接引用しなかった(「では<物語>とはなにか」については、ここでは「時間連鎖のかたちでの状況・事象の再現表象」(ジェラルド・プリンス『物語論の位相 物語の形式と機能』、松柏社、一九九六)という言葉を引用するにとどめ、詳細は稿を改めたい)。
参考文献として、ゼロ年代に登場した(短歌以外での)批評書・評論書については円堂都司昭ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー』(ソフトバンク新書・二〇一一)が手際よくまとめられており、続くテン年代――二〇一〇年以降についても「ユリイカ」(青土社)二〇一一年九月号などで議論がスタートしていることに触れておきたい。

*2:この文章のあと「(この問題についての古典的な業績は、言うまでもなく柄谷行人日本近代文学の起源』(中略)です)」と続く。ここで稲葉が挙げる『日本近代文学の起源』は初版が一九八〇年、現在流通している定本版が二〇〇四年に刊行されている。二〇〇八年の文庫化にあたって寄せられた「岩波現代文庫版への序文」で柄谷は、同書中でも引用された夏目漱石の『文学論』序文「余は心理的に文学は如何なる必要あつて、此世に生れ、発達し、頽廃するかを極めんと誓へり。余は社会的に文学は如何なる必要あつて、存在し、隆興し、衰滅するかを究めんと誓へり。」に寄せて定本版を書こうとして読み直したときにも、思いがけない発見があった。(中略・漱石『文学論』序文を引用)突然、私の目にとびこんできたのが、「頽廃」や「衰滅」という文字であった。(中略)私がこのことに気づいたのは、いうまでもなく、文学の衰滅という事態を意識していたからである。(P.3。改行削除)という。定本版を読み返していたであろう二〇〇四年頃に、柄谷が「衰滅」を意識していたという「文学」は、あくまで「近代文学」であって「文学そのもの」ではないが、近代文学における「お約束」の拘束力に関する参考意見の一つとしてもよいだろう。

*3:批評家・作家の東浩紀は『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書、二〇〇七)で稲葉の文章を引きつつ「自然主義文学の作家は、現実を描くべきだと感じたからではなく、現実を描くとコミュニケーションの効率がよいので、現実を写生していた。」(P.63)とまとめている。前註の柄谷の発言同様、参考意見としてよい。

*4:当時の人々の教養度は相当高かったとみてよい。「江戸時代後期には、読書は一部の教養人の独占物ではなくなっていた。読書は庶民にとっても、実用的な知識の獲得手段として、また娯楽として、日常生活の中で欠くことのできない地位を占めるようになったのである。(中略)江戸時代の出版物は広いジャンルにわたっている。それは単なる趣味の域を超えていた」(鬼頭宏『日本の歴史 19 文明としての江戸システム』、講談社、二〇〇二、P.308)ことから、「個人の生活水準の上昇と、それによって可能になった余暇や能力の獲得は、次の時代を作り出す根源的な原動力となったといえよう」(鬼頭同書P.308)。これに、例えば林達也『江戸時代の和歌を読む ――近世和歌史への試みとして』(原人舎、二〇〇七)や山路閑古『古川柳』(岩波新書、一九六五)などを照らし合わると、明治時代・二〇世紀ゼロ年代へとつながる、江戸時代の人々の、詩歌への関心の高さが窺い知れる。
付加的に、二〇世紀ゼロ年代当時の社会や人々を想像する上で、識字率に関するデータを提出しておきたい。清川郁子「『壮丁教育調査』にみる義務制就学の普及 ――近代日本におけるリテラシーと公教育制度の成立」(「教育社会学研究」第51号、日本教社会学会、一九九二)によると、一八九九(明治三二)年当時の陸軍省が行った調査では「第一水準」(自己の姓名や住所が書ける程度)の識字率は76.61%、「第二水準」(小学校卒業程度)は50.62%。一九〇〇年の第三次小学校令により義務教育の無償化が法令化されたことにより、二〇世紀ゼロ年代を経た一九一四(大正三)年になると「第一水準」97.76% 「第二水準」88.52%と爆発的に向上している。

*5:一八九三年の落合直文によるあさ香社設立、一八九八年の佐佐木信綱による松柏会設立、一八九九年の正岡子規による根岸短歌会の結成、同年の与謝野鉄幹による新詩社設立と雑誌「明星」の創刊など。

*6:例に挙げたミッキーマウスを貴方が好きな場合、ディズニーランドへ行けばさらに彼の<物語>が追加され、そのキャラクター性は重層化・再強化され、人によっては(非公式であっても)新しい<物語>を自ら付与したいと思うかも知れない。この在り様を東や宇野、濱野智史福嶋亮大、村上裕一といった「ゼロ年代」批評家たちがこぞって「ゼロ年代」的な重要問題として扱っていると言っていい。
 逆に、貴方にミッキーマウスへの関心がなければ『物語』ははじめから薄っぺらい「お約束」だったように思うだろうけれど。

*7:最近ようやく使われることの減った「ネット短歌」という嫌悪感交じりのバズワードもまた、この点に発するものであろう。

*8:補遺として、二十一世紀ゼロ年代を代表する歌人に、石川美南、斉藤斎藤、永井祐の三人を挙げておきたい。彼らについては今回のシンポジウムやリレー連載で論じる人もあろうが、本稿では詳述しない。乱暴ではあるがひとまず「物語的制作手法に長けた石川」「ドキュメンタリー的制作手法に長けた斉藤」「『お約束』の衰退・無効化そのものを利用する永井」とまとめておこう。
一点、昨年刊行された石川の二冊の第二歌集『裏島』『離れ島』について踏み込めば、東郷雄二氏が個人のウェブサイト(http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/tanka/kanran84.html)上に書かれた見解、すなわち「単発作品が中心の『離れ島』よりも、連作で構成された『裏島』の方を興味深く読んだ。そして、巻を閉じてあらためて、石川の真骨頂は物語性に富む連作にありとの感想を持った」という意見に、私は同意する。