加藤の発言を、「ミューズ」発言のあった2月17日から4月まで振り返りました。
本シリーズ記事についてTwitterでいくつかのご意見をいただきましたので、このシリーズ記事を通じて目指すもの・扱うものを改めて整理し、表明しておきたいと思います。
目指すもの、扱うもの
【私が、長期的に目指すもの】
- 究極的には社会的公正の実現、特に短歌界隈(歌壇やネット上の短歌クラスタ等、短歌に関わる人々の全体)における、社会的公正の実現を理想とします。
- 具体的には、「短歌を楽しみ取り組みたい人々が、差別やハラスメントを受けず、短歌を楽しみ取り組める環境の実現」と現時点ではまとめておきます。
- その実現のため、既存の〈権力〉に関する構造的問題の解消・改善を目的とします。
【目指すものに応じて今回扱うもの】
- 本シリーズ記事では加藤治郎の2019年2月17日以降の言動と、その批判について扱います。
- 加藤の言動の問題は主に以下の3点に集約されます。
- 「ミューズ」発言や、(MeToo等によって告発された)性被害を含む、〈権力〉の行使によるジェンダー的不公正の問題
- 〈権力〉の行使による文学的不公正の問題
- 前二者の背景となる、一般的読解能力(リテラシー)の問題
- これらの問題の説明として、実際の加藤の言動にふれることになります。
- 「短歌におけるニューウェーブ」という概念の検証には踏み込みません。
- 加藤の言動における前掲3点のうち、1点目と2点目の問題は、あくまで、既存の〈権力〉の構造的問題が発露した一例であると見なします。
本シリーズ記事を通じた、加藤の言動に関する分析・批判が、歌壇や短歌界隈全体における過去の不公正を皆で考え、今後の不公正を抑える契機となることを願ってやみません。