今回は加藤の3月のツイートについて。なお、Twilogによると、加藤は2月17~28日の間には390ツイート(RT含む)、3月には663ツイートしていたようです。
シンポジウム「わたしたちのニューウェーブ」
3月3日に、東京で第1回笹井宏之賞授賞式に続く形で、シンポジウム「わたしたちのニューウェーブ」が開催されました。登壇者は東直子、水原紫苑、江戸雪の3名。14:40~16:30、2時間弱という短い時間で議論が進められました。
www.kankanbou.com
私の当日のツイートを再掲しておきます。
#わたしたちのニューウェーブ
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
水原「ニューウェーブは死を捨象した。今の若手は死を意識しており、近代短歌的とも言える」
東「ニューウェーブの時代的背景。穂村弘も指摘しているが、消費感覚。バブル的」
#わたしたちのニューウェーブ
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
水原「歌(一首)で評価しないという、歌壇の評価軸も影響」
江戸「ネットもなかった時代。結社誌に載る意義が大きかった」
#わたしたちのニューウェーブ
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
水原「内面を直接言葉に持ってくるところがあるね
東「永井陽子をニューウェーブの端緒とする見方もありうる」
#わたしたちのニューウェーブ
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
東「口語短歌という扉を開けるには、死を捨象した無時間性が必要だった」
水原「ニューウェーブはレトリックに寄っていた。今の若手は内面を描く方向では」
江戸「個々人の〈孤〉を感じた30年。みんなバラバラでよく、無理につなげる必要はない」
#わたしたちのニューウェーブ
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
水原さんの言及した時評はこちらhttps://t.co/vxiYSFZGwo
#わたしたちのニューウェーブ
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
水原「ニューウェーブの中核の人々とは(仲は良かったが)歌については中に入っていけないところがあった。」
東「自分から見ると水原さんはニューウェーブに見えていた」
(わたしは、「内面を直接描く」という見方にはかなり懐疑的。そういう体裁のものはありえる、と思いますが…)
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
#わたしたちのニューウェーブ
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
休憩を挟んで、会場発言。
会場発言2人目「やはりポエジーの問題なのでは。キラキラしたものの希求。その観点では喜多昭夫も含まれるべきでは。ただ、歌集自体が女性差別的なものを含み、玉石混交。〈キラキラ〉と〈女性差別〉は不可分になっている世代かもしれない」
#わたしたちのニューウェーブ に対する個人的感想。今日のイベントに限っていえば、各人からのニューウェーブ感が語られたのは収穫。他方で、それだけでは足りないという感覚も。ニューウェーブというゾンビを終わらせるには、現行世代を(乱暴でも)一度、何らかの形にまとめる必要があるのでは
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
まず、ニューウェーブについては、佐々木中が『切りとれ、あの祈る手を』で批判したような世紀末感覚が中心にあると思います。すなわち「自分たちは史上最高に評価されるべきであり、自分たちの後に楽しい世代が来るのは許せない」という感覚。バブル的お調子者感。これが当時は必要だったのでしょう。 https://t.co/ahYevlJRkC
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
でも、それは長続きすべきものでもないし、ニューウェーブという語自体がある程度語り直されるべきだった。そして、その未来へ向けた変容自体を否定するような(「4人」とか「女性はいない」とか)態度こそが批判されるべきと思います。 https://t.co/srRginnxBb
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
(ここから先はどこかの媒体で書きます。歴史の塗り替えが相当行われているのではないか、という疑義を近くどこかで提示したいと思っております。) https://t.co/mhzt9zbEGI
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
当日夜、私のツイートに対して、加藤が批判めいた言をツイートしています。
短歌史の検証抜きで、気分とイメージで語り直す態度は疑問です
— 加藤治郎 (@jiro57) 2019年3月3日
私は、1980年代、90年代を丁寧にレビューすることでしか再構築はできないと思います https://t.co/LRJ5iQPTZj
そうですね、正しく、資料に基づいて検証されるべきかと思います。 https://t.co/3IPfzdwZn4
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
このツイートからつい半月ほど前に、書かれてもいない短歌史について、検証抜きで「常識」という気分やイメージに基づいてニューウェーブを語ったのは誰でしたでしょうか。
あ、篠弘さんの『現代短歌史』には、ニューウェーブは出てきません
— 加藤治郎 (@jiro57) 2019年2月19日
ニューウェーブは、まだ書かれていない短歌史です
私のこれらのツイートについて、加藤からの反応はありませんでした。
当然のことながら、資料に基づけば「ニューウェーブの範囲について検討されていない」こともないこと、荻原さんの1991年7月23日付夕刊の記事の前にニューウェーブに関する特集が総合誌で展開されていたことが簡単に確認できます。たった、それだけのことです。
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
はい、「フォルテ」刊行に関わるイベントだと理解しております。総合誌等で扱われたのでしょうか?そのイベントを通じて、ニューウェーブの成果がどこかで実るとしても、総合誌の特集(5月)を差し置いて、荻原さんの記事(7月)とするのはアクロバティックすぎると思います。
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
なるほど、「フォルテ」とは別なのですね。他方で、それならば、「ニューウェーブ」という特集が生まれる、間隙としての約3年の過程を、テキストベースで明らかにされるべきと思います。
— 中島裕介 (@yukashima) 2019年3月3日
私は「すなわち「自分たちは史上最高に評価されるべきであり、自分たちの後に楽しい世代が来るのは許せない」という感覚。」と書きましたが、加藤の3月27日のツイートにも見受けられます。なぜ、ご自分の観察できる範囲内で「限界」を決めてしまうのでしょうか……。
夜になると冷える
— 加藤治郎 (@jiro57) 2019年3月26日
歌壇は、歌壇でない領域を常に取り込んで生きてきた
それも限界に来たということか
また、短歌評論の同人誌「Tri」の創刊号では「『サラダ記念日』前夜」という特集が組まれています。
あと、岡井隆さんが70年代後半の現代詩における「ライト・ヴァース」を80年代前半に短歌に援用するようになった「歴史」については、短歌史プロジェクト「Tri」創刊号(2015.04)所収の評論「〈ライト・ヴァース〉概念史」で丁寧に書いてますので、未読の方はニューウェーブ再考と合わせてどうぞ。
— てつろー@冬コミ1日目・西て08a (@symphonycogito) 2019年3月3日
短歌史プロジェクト「Tri」は、委託販売店の他、「日本の古本屋」経由で通販でも購入できます。詳細は花笠海月さんのnoteマガジンをご覧ください。https://t.co/T5lbMIpbUB
— てつろー@冬コミ1日目・西て08a (@symphonycogito) 2019年3月3日
gatangoton.base.shop
記事中と注の言及で気づきましたが、「Tri」は創刊号含め各号まだまだ在庫ありますので! がたんごとんさんところの在庫はたまたま欠品しているみたいですが、「日本の古本屋」経由で新本として買えます!(古書いろどりから届きます)何なら私も各号在庫持ってますので買ってください!! https://t.co/XJDKjBZvmm
— てつろー@冬コミ1日目・西て08a (@symphonycogito) 2019年12月3日
時間は前後しますが、「ねむらない樹」vol.2(2019年2月)の特集2が「ニューウェーブ再考」となっており、これらも参考になると思います。
3週間経ってもこれか……
3月7日時点でこういうツイートがなされます。
#ニューウェーブ歌人メモワール
— 加藤治郎 (@jiro57) 2019年3月7日
できる限り、自分の認識する事実をありのままに書きたい
それだけなんだ
それを、思い上がりだとか、暴力だとか言われても困惑する
もちろん、様々な認識があるわけだから、それはそれぞれ語ればいい
いろいろな可能性があった1980年代、90年代だった
2月19日に加藤が見せていた反省はかき消えてしまったように見えます。
ありがとう。
— 加藤治郎 (@jiro57) 2019年2月18日
「短歌往来」の「ニューウェーブ歌人メモワール」は、連載120回ぐらいの構想で書いています。
「他者の主体性を踏みにじらない方法での回想だって可能だったはずし、そういうものを読みたいです」
今後の執筆の指針となります。
他者の存在なしに、私の短歌はありえないからです。 https://t.co/7Ukw4YXIdg
「現代短歌」と「短歌研究」2019年4月号の発売
3月14日に、「現代短歌」2019年4月号が発売。川野芽生による時評「うつくしい顔」が発表されます。
gendaitanka.thebase.in
3月20日、「短歌研究」2019年4月号が発売されます。中島による時評「ニューウェーブと『ミューズ』」が掲載されています。
- 作者:
- 出版社/メーカー: 短歌研究社
- 発売日: 2019/03/20
- メディア: 雑誌
拙稿を契機に「ここから全力、全速力で出発」と言っていた加藤は、結局、どこへ向かっていったのか、なぜ逆走したのか、ということを私は今後書かねばなりません。
こんにちは
— 加藤治郎 (@jiro57) 2019年3月20日
拝読しました
フェアな論考です
私は、ここから全力、全速力で出発します https://t.co/3JDX4hMuPs
なお、「現代短歌におけるニューウェーブ」という概念そのものの検証は……
本件シリーズ記事の一環としては取り扱いません。