秋休み終了とその後

秋休み中、結局ずっと積読になってた本を読んでました。
それ以外は髪を切って、ダリ展に行ったくらい?


積読の山、秋休み前は2立方メートルくらいあったのですが、或る日山が崩れました。
これを片付けるだけで一日かかってしまった・・・。もうちょっと普段から本を読めるくらい、気持ちを落ち着けられるといいのだけれど、なんかそういう日が遠そうな気もする。


ダリ展は平日の昼に行ったんだけれど、かなりヒトが多かった・・・。
入館待ちまではしなかったけれど、中に入ると結構ヒトがいて、あまりゆっくり出来ない感じ。*1
髪は大分短くなったけれど、給料日前ってこともあって、カラーを入れるのは断念。また今度。


土日に関西へ戻る。土曜日、大阪でKさん・Hさんと会う。Kさんとはおよそ1年ぶり、Hさんとは2〜3年ぶりだろうか。
梅田でお好み焼きを食べたあと、喫茶店で他愛も無い話をする。学生時代はこういう時間がたっぷり取れたんだなあ、と思うとしんみり。

帰宅後、10年近く屋根裏部屋に置きっ放しになってた参考書やテスト結果など、大学受験に使った諸々をついに捨てることにする。ああ、ついに終わったのだな、ボクの青春とか記憶の中の10代とか・・・とかちょっと感傷的になってみる。
合わせて見つかった10年前まで買い捲ってたラノベTRPG関連の本についてはまだまだ保管するべく、自室へ運び込む。懐かしい。
 


日曜日、帰り際になって猫の一匹が甘えてくれる。
普段はこんな目つきな上に、私のことなんかすっかり忘れられているのだけれど、この日はたまたまとかといった具合。もうこの子も13歳。かなりのおばあちゃんねこだ。次に帰ってきたときもまだ生きているといいな。

私が13歳の頃、初めて実家で猫を飼うことになった。猫がやってくるその直前まで渋っていたのは、実は私だ。猫はとても好きで、町中で見かけると声真似をして追っかけ回すくらいなのだけれど、だからこそ、いつになるか分からない別離が怖くて、猫を飼うのに反対し続けた。
そのとき、初めてウチにやってきた子はもう亡くなってしまった。そのときには私は既に実家を出てしまっていたのでその最期には立ち会っていない。電話でその死を聞いたときにはとても哀しかったのだけれど、涙が出なかった。涙が出ないことをとにかく情けなく思ったことをずっと覚えている。その記憶に触れるたび、ボクは死という概念を本質からは理解・感得してないんじゃないかと空恐ろしくなる。
でも、恋愛はもう別離を怖がらないでやっていきたいと、よくわからないことを思いつく、10月18日午前1時。


実家はけっこう田舎だ。ヒトに私の出身地や実家の所在を説明するとき「神戸の<ほう>」と言うのは、兵庫県民でも知らないヒトがかなりいるような町だから。家から神戸・三宮に出るまで1時間。その手段はいまだ単線の神戸電鉄のみ。
 
空港から帰る前、大阪でOさんに会う。Oさんとも2年ぶりになるだろうか。


で、月曜日から再び仕事。
今日火曜日は職場を早めに退出して、ダンスのレッスンに初めて出てみる。およそ3年ぶりにマトモに身体を動かす。うわ、ぜんぜん動かねえ!身体が超固てえ!考えている通りに身体が動かないことがもどかしくて、意識がそのもどかしさにとらわれて、さらに付いていけなくなる。練習後、色々と話をお伺いする。リハビリがてら、折を見てまた参加しないとなあ・・・。


ああ、そうだ。「未来」10月号では久しぶりにCompositionの短歌が載っています。また、同じ号に「嫌いな言葉」のテーマに則ったエッセイも掲載されているのでお時間のあるときにご覧いただければ幸いです。

*1:という話を今日、上司にしたところ、上野の森美術館の英語名称って「The Ueno Royal Museum」なんだそうだ。なんか小さな割にゴージャス感を出そうとしたんだとか何とか。