「これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは」

題名を打ち込むだけで長いな、これ。


というわけで、先週に引き続き土曜日ににしすがも創造舎へ。ラビア・ムルエは初見。
この作品、正直眠い。というか、寝た。ごめん。
たまに科白の内容に笑っているらしい観客が一人だけいたけれど、彼はどこで笑っていたのか。
もしかするとアラビア語が分かったりレバノンを取り巻く政治的状況について詳しければ笑えるのかもしれないけれど、それって難しくない?


以下、ネタバレ。
まず私はレバノンの政治的状況について全く予備知識がないことを前提に以下を読んで下さい。その上で、何かご意見があればご教示下さい。

  • 基本的にはレバノンの或る政治的思想に拠っている男女4人が、ソファに座ったまま話すという体裁。
  • 一人一人はその俳優個人の名前のまま*1登場する。
  • 1975年から、その各々の思想信条に基づいて彼らが戦士として行動し、そして対立する派閥の戦士に殺されるまで語っていく。
  • 彼らは殺されたとしても何らかの行為によって復活し、新たな闘争の場へ参画する。
  • 話者はそれぞれ自分が殺されるまでを一つのシーンとして語る。
  • 一つのシーンが終わるごとに話者が変わっていき*2、彼らの背後のスクリーンには戦死した者のポスター*3が投影される。
  • 彼らはたぶん「戦闘によって死ぬ→新たな戦闘への参加」を「憎しみの連鎖」の表現として使っているのだろう。
  • 状況は時代が(話が)進むにつれて変化してきて、何度も「戦死」した彼らはその都度反省し、新たな道を模索し、或る者は更なる闘争を求め、或る者は家族との平穏を求めたりもするがそれでも「戦死」し「憎しみの連鎖」が続いてしまう。
  • 最後に彼らはソファから立ち上がり、4人が立ち去った後には、おそらく現実に掲出されていると思われるポスターの映像が幾種も投影され、暗転。


なるほど、状況の「やる方無さ」はよく分かる。が、この様式でなくては表現できないのか?少なくとも、私のように知識の無い者にはその政治的状況も演劇としての意義も読み解きづらく感じてしまった。

というか、退屈。

プロモーションDVDを買ったので、これも観て改めて考えてみようと思う。

*1:といっても、その名前は舞台冒頭でしか示されないのでこの見解は間違っているかもしれない。

*2:時折、別の話者が「それはそうじゃなく○○だった」と茶々を入れることもある

*3:各派閥によってポスターの様式があり、ポスターには戦死した者の写真と派閥のシンボルが掲げられている