「昏睡」。
各都市から演出家と俳優が集まって、仙台の劇作家の台本を舞台化する企画。
お年寄りの原宿、巣鴨の商店街を見ながら劇場に向かう。
劇場のあるにしすがも創造舎は廃校になった小学校を改築した場所。同様の京都芸術センターと比べて、より小学校らしく感じる。きっと京都の方がより明治〜大正期の建築らしい要素を持っていて、却って小学校らしくなかった、のだろうか。
舞台は終末に向かいつつある世界とそこに生きる男女を描いた6本のアンソロジー。
なかなか面白い舞台だった。(ただ、そのときに書こうと思った感想を今、思い出せない・・・!)
終演後、レプリカントで最後の2年間お世話になった竹内さんと会う。ああ、これも竹内さんの衣装だったのだ!と気付くととても嬉しくなった。
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「壁」。
パレスチナの劇団。美術は椿昇。
仕事の影響で少し遅れて劇場に入る。
でも、別にそれでも何ら問題が無い。モチーフがどこから見ても同じなのだ。金太郎飴。
「壁」に分断されて哀しい、ということが理解されるが、それ以上でも以下でもない。
モチーフと主題が同じカテゴリーで論じられている気さえする。
これなら同じく壁を取り扱ったレプリカントの「翳」の方が面白かったのではないか。
ただ、科白と謡いが交互に行われる構造について言えば、昨年のイラクの劇団より幾分洗練されていた。(中東というだけであって、比較するモンじゃないかもしれないが。)
とはいえ、久しぶりにポスコロについて意識を向けた。これは間接的で個人的な収穫。