自分の事のようにうれしい

仕事が終わって携帯を見ると、文学関係の友人が或る文学賞の最終候補に残ったとの連絡。

彼は少しだけ一緒に舞台を作ったこともある、古い、とても大事な友人の一人だ。

(私にとって中高生の頃から今まで続いている数少ない友人たちや、

京大短歌やレプリカントを通じて出会った人々、そして今回の彼のように、私まで誇らしくなるような、

ステキな面々だ。「学生までで出会った友人は大事だ」なんて陳腐な文句を吹き飛ばすくらい。

本当にこれだけは、私が生きていて良かったと思える唯一の財産。)



候補に残っただけだから受賞したわけでもない。作品はもう本人の手を離れている。

まだまだスタートラインに立っただけかもしれない。

それでも私の家で翌日の昼まで飲んで文学について議論してた、あのときの、

いわば「桃園の誓い」を本当に果たせる日が近いような気がするのだ。

私は、南京新唱序それ以上の序文を書いてもらえるようにならないといけないと、心新たに。