【本編】加藤治郎さん、あなたは文章が読めない(7)2019年4月

今回は加藤治郎が4月に行った835ツイートとその批判について(一部、中島の5月のツイートを含みます)。加藤からの反省表明があったにも関わらず、加藤が権威主義的な振る舞い、権力の暴力的行使を継続したことに対し、中島は強く批判する意志を固めていきます。

(暗示)

(3月から4月にかけて、加藤は選歌欄の方々が刊行した歌集の広報に努めています)

その一方で、「#ニューウェーブ歌人メモワール」のハッシュタグを付けたツイートも度々投稿しています。

ハッシュタグ「#Twitterの難しさ」 ――中島からの批判

(お忙しい方は、「8」だけお読みいただければ十分かもしれません)

4月25日、加藤は19:23から「#Twitterの難しさ」というハッシュタグを付けたツイートを連番で投稿しはじめます。中島は都度、加藤のツイートを批判していましたが、4月28日の通番「7」から中島への直接の言及が始まるため、同日から中島はそのハッシュタグツイートを一つ一つ検証・批判していくことになります。
加藤のこのハッシュタグツイートの内容は問題ばかりであり、かつ、1~18の間に同じような問いかけが繰り返されます。これらのツイート群の問題はゆらが的確にコメントしています。



(2019年12月11日18:05追記)
ハッシュタグを使用することに対する危機感について、興味深い記事があったので追記します。
webronza.asahi.com

あらゆる道具と同様、ハッシュタグもまた、「悪用」される可能性がある。つまり支配者の側が、ハッシュタグを通じて自らに有利なメッセージを拡散し、体制維持につなげるわけである。


以下、加藤のツイートそれぞれについて、中島が加えた批判を続ける形にします。加藤がツイートに付した番号にあわせて中島からの批判を掲載するため、実際のツイートの時系列とは異なることを予めご了承ください。


なお、加藤のツイートに対する中島の批判に、加藤はほとんど応じていません。「短歌研究」2019年4月号時評に対して「複数の重要な論点があります」と述べ、その<論点>も私の批判を受けて後退を続けた後、返信が途絶えます。

1




中島のこの指摘は、加藤の「8」への指摘に続きます。

2



加藤の主張のおかしさが分かりますでしょうか?これを短歌の評にあてはめれば「一首だけを抜き出したって分からない。前後の歌や歌集全体、一首の経緯やその歌に付いたほかの評やコメントが全てなくては書いてはいけない」と言いはじめたようなものです。


総合すれば、加藤は「自分の思ったことは、思ったとおりに書きたいし、書く。短歌史の文献に書かれていないこと。おれがニューウェーブだ。しかし、中島が何かを書くならば一つのツイートに対してどんなリプやコメントが付いたのか全体の把握と説明が必要だ。そういうものがないなら書くな」と私に述べていることになります。

3



こちらも、「8」に対する中島の批判に集約されていきます。加藤は、責任をもって文章を書いた者だけでなく、責任をもって文章を掲載した出版社や編集者までバカにしています。ところが、自身は出版社や編集者に嫌われたくないからか、そちらには文句をつけず、組し易そうにみえる中島(など)のみを槍玉に挙げているわけです。

4



このあたりから、加藤は「ハラスメント」という語の意味を理解していないことを露呈していきます。
なお、本シリーズ記事の「11月」分で扱うかもしれませんが、「中島のやっていることは加藤へのハラスメントである」というような文句をLINEで中島に送ったりもしています。

5



私のコメントの「静観していたら」は、加藤の「ミューズ」発言の際のことですね。本シリーズ記事の(2)などでお分かりになると思いますが、私は2月17日の加藤の問題発言に気付いた直後には、このツイート(↓)を送ったのみで、加藤に対するリプライ等は送っていません。

6





7




8







以上が4月28日時点までに行った中島からの批判であり、以下は5月2日以降に中島が行った批判です。




むしろ「フランス人形だった」というツイートは、水原に対する「ミューズ」発言を強化するものだと考えています。
www.huffingtonpost.jp






9


すでにご覧いただいた通り、「8」への批判は4月28日中に行っています。にも関わらず、4月29日の「9」からまた同じ主張を繰り返します。


いわゆる「バイトテロ」を実施し、動画をSNSに掲載した人間も、「身内しかみないと思っていた」「ただのいたずらだった」と思っていたんです。しかし、SNSという場に公開した以上、自身がその恥ずかしい行為を全世界に公開したにすぎません。「居酒屋」だのなんだのという言い訳は通用しません。ましてや、インターネットという場にコミットしてきたエンジニアであり、生業では職場のリスク管理等に関わり、かつ「デジタルに影響を受けた」文体である(と加藤が主張する)ニューウェーブを牽引してきた加藤がこういう主張を行うこと自体が、かなり異様なのです。
ja.wikipedia.org



こういった指摘に対して、加藤は「Twitterの難しさ」というハッシュタグを作った意図が示されるのみでした。そして、後述するように、結局、「あなたの時評の問題点も指摘していきます。」という宣言も虚しく、真っ当な問題点は1つも示されることがありませんでした。

10




twitter.com





11





野口の2つのツイートはすでに削除されています。


一応、アメリカの教育学者であるヘンリー・ジルーの「変革的知識人としての教師」という考え方を踏まえています。

12



13

加藤は壊れたレコードのように同じ発言を繰り返していきます。中島が加藤の発言を丁寧に批判しようとすると、加藤のお気楽なツイートの何倍もの労力を要します。加藤は同じ発言を垂れ流しておけば、中島の労力を削ぐことができるのですから、<テロ>としては大変お手軽です。


14



15~18











そして、5月7日には、「引用許可」の話が「トラブルを避けるために、事前に連絡したほうがよい」「事前のネゴ不要と考えるなら、それでよい」という話まで後退します。(5月4日時点で、詩客の時評が公開されていますので、朽木の発言は、中島の詩客時評を受けた箇所があります)











この朽木の指摘にも加藤は返答していません。

中島の「短歌研究」時評の「諸問題」など(番外)

ところで、結局、加藤はいつになったら、私の「短歌研究」4月号時評に関する「複数の重要な論点」を示してくださるのでしょうか。




結局、「事前のネゴ不要と考えるなら、それでよい」という、「整合性を欠いた」と加藤も認めた見解が一つ示されたのみで、<複数の><重要な><論点>は半年以上の間、一向に示されていません。

これだけ理不尽な発言があり、私がその問題点を指摘しても、加藤は応答しないし

それでも、加藤は文筆家として信頼され、選者としての地位が保たれ、仕事がたくさん来るんですから、それで「権力がない」は通らないでしょう……

(次回予告)詩客時評をめぐる、加藤の圧力・脅迫へ

5月4日の詩客時評(連載第1回となるはずだったが、1回のみで終了)をめぐる、加藤による圧力・脅迫の背景については、4月下旬から告発が始まっていますが、5月分の記事で扱います。


今回、「ハッシュタグ「#結社」の我田引水」という小項目も加えるか悩んだのですが、次回以降に回します。


なお、本記事に先立って、「短歌研究」2019年4月号時評「ニューウェーブと『ミューズ』」を公開いたします。適宜ご参照ください。yukashima.hatenablog.com