【補遺】ジェンダーや表現の自由に関する、中島のスタンスについて

中島にとっての優先順位

中島がジェンダー表現の自由について考える際の優先順位は以下の通りです。この順序を他人に押し付けることはしません。皆さんの議論や検討材料になれば幸いです。


  1. 言動やその内容に直接関係する個人の尊厳を侵しはしないか(ヘイト・スピーチなど、個人の属性に付随して人権を侵害する言動は受け容れません*1。)
  2. 表現の自由を損なわないか
  3. 言動やその内容の背景・文脈に応じて、直接関係する個人の尊厳を損なっていない、と理解することが可能か(その理解により、尊厳の回復が可能か)
  4. 言動やその内容に直接関係しない個人(読者や鑑賞者、視聴者等を含む)の尊厳を侵しはしないか(意図が明確であれば、露悪的な表現もありうるが、文脈の形成と理解に厳に留意する)


「ミューズ」発言は、2の「表現の自由」の観点に立てば、加藤がいうような「回顧録などが書けなくなる。文学の危機だ」という主張も理解できる。ただし、その上位に置く、1において個人(水原・大塚・穂村)の尊厳を侵していた(少なくとも、侵した可能性が高い)のでアウト。


「宇崎ちゃん」ポスター問題は、1.対象となる宇崎ちゃんに個人意思がないので判定除外。(この段階で問題になる場合の前提は、「宇崎ちゃん」が女性全般の象徴になりうる場合、女性に対する抑圧の再強化が行われると見なされる場合である、と理解しています。)2.作者や、ポスターを掲出した団体は自らの尊厳を侵されない限りで判断して、公開・制作・掲出したと考えられる。3.「宇崎ちゃん」のマンガ作品等の文脈と、ジェンダー的公正の文脈、オタク差別の文脈が競合する。判定保留。4.ポスターを見た者の不快感を招く可能性、公共の場に置かれることの妥当性については議論の余地あり。「1及び2を優先して、「宇崎ちゃん」ポスター掲出はアリ。ただし、3及び4の論点の議論が行われるべき」。


こういうの書くと燃えそうなのでそこまで気乗りしないのですが、ひとまず表明しておきます。

後日、関係しそうな記事や参考文献など(気が向いたら)ここに挙げておきます。

*1:内心でどう思おうが、言動に移さない限りは構わないと思っています。この点の、内心の自由表現の自由に関する個人的見解を後日まとめる予定です